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毎日が山歩き 案内人 伊藤幸司(糸の会・登山コーチングシステム)  50歳を過ぎてからでも楽に山歩き、愉しく山登り、のんびり山遊びが楽しめる毎日を紹介します。

講座 2008.7.24更新  

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【講座60】リーダー私論


リーダーの2つのタイプ

■谷川岳西黒尾根――2002.9.14
岩場ではダブルストックは危険といわれるが、危険度を段階的に管理できるのと、内在する危険を外から見やすいので私は積極的に使用する

私は自分自身がリーダー的資質にあふれているとはとても思えないので、本当の修羅場に遭遇したとき、自分が果たしてリーダーとしてきちんとした行動をとることができるか、はなはだ自信がない。

だからすこしは考えるのだが、若い頃、英国流のリーダー論などを仲間と語り合った遠い記憶のなかに、忘れられない言葉がある。リーダーにはまったく違う2つのタイプがあるというのだ。

ひとつは、最良の道を考えて、考えて、考え抜いて実行に移すリーダー。もうひとつは、一度決めたら、どのような障害が現れようと、目的に向かって道を切り開くリーダー。

もちろん私はそのどちらでもないけれど、自分の中に半端に存在するその2つの性格を、できるだけうまく組み合わせていきたいと考えてきた。

私は完全なワンマンプレイだから半端であろうがなかろうが自己完結的に決着させることができるが、グループになるとそうはいかない。3人以上からグループは成立するというけれど、そのリーダーはグループによってもまれ、共有のリーダー像に近づいていくということが多いのではなかろうか。運命共同体に対して責任を持つことになれば……だが。

あるいは創設者が断然優れたリーダー……という例も多いだろう。その場合にはサブリーダーはリーダーの教えを受け継ぎ、かつ発展させることを求められる。

じつはリーダーということを考える場合、リーダー候補としてのサブリーダーを不可欠のものとして考えなければいけない。そのためには、リーダーたるべき理論と技術が共有されるかたちになる。それぞれのグループ独自のものとして「文化」が構築されていく。

リーダーという場合、通常はそういうリーダー&サブリーダー制のことになる。ひとりの人間が、「我こそ100パーセントリーダーだ」と宣言すれば専制君主と非難されるだろう。あるいは「君は100パーセントリーダーだ」といわれても、実際には前リーダー、元リーダーたち長老の前で、サブリーダーをやっているのにすぎない場合もあるだろう。

そういう奥深い問題について私がなにかいえる立場とは思わないが、プロジェクトごとのリーダーに関しては100パーセントの権限と、100パーセントの責任を合わせ持った特命全権リーダーとすることを強く提案したい。

この講座の第1回を『「単独行」のリスクとメリット』としたけれど、全権を委任されたうえで、失敗の権利をもつことが、登山道での行動技術を磨くうえでどれほど効果的か訴えたつもりだ。

登山の常識には古い言い伝えがたくさんある。「健脚になりたかったら水を飲むな」といわれた時代の常識が、現在までそのまま生き残っていることが多い。山のグループの中心的存在が、圧倒的な権限を維持するために古い常識を説いていると思われる場面を見ることが多い。

私が正しいといいたいのではない。私はたくさんのドジを踏みつつ、リーダーとしてお金をいただいてきた。失敗する権利がリーダーにないと、リーダーは「定石」の選択しか許されないことになる。

だから山の現場では成功も失敗もすべてリーダーにまかせて完結させ、反省が必要なら下山後にやればいい。リーダー個人のリーダー論と、グループのリーダー論がぶつかるのは下界での話にしたい。

山の中では全権を与えたリーダーに命を預けるのが「常識」だ。全員の命が風前の灯火となるようなことは、失敗経験豊富なリーダーならたぶん避けられると私は考える。

飛行機の事故や大工場の事故でも、大事故の前にはかならず小事故が起こるといわれる。山の事故もまた小さい失敗のところで予兆を感じ取るセンサー感度がじつは安全にもっとも有効な装置だと信じている。

リーダーは小さな失敗をセンサーで計りつつ、大きな失敗を回避する役目をになっている存在と考えていただきたいのだ。考え抜いて行動しようが、圧倒的な突破力で目的に向かおうが、センサーとアクチュエーターのコントロールはどちらにも必要なはずだ。


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