なぜ鈴をつけるのか
私は同行者に「熊よけの鈴」をつけるのを許さない。
なぜか? 逆に聞きたい。なぜつけるのか?
多くの人は「熊に襲われる」危険があると考えているに違いない。クマに「襲われる」のを避けるために鈴をつけるのだと考えているらしい。
最近ではしばしば、登山口の注意書きにもそういう説明が見られるので困ってしまうのだが、登山道で登山者がクマに襲われたという例が、いったいどれほどあるのだろうか。
文頭から穏当でない書き方になっているが、私は正直、登山道で鈴を鳴らしながら歩いている人を見ると眉をひそめたくなる。
穏当でない言い方を重ねれば、「熊というオバケ」を信じて鈴を鳴らしている滑稽さが登山者と山との関係をどれほどゆがめていることか。
当初、私は「クマ出没」という注意書きをみなさんには次のように解説していた。
――登山者がクマを見たとします。目撃者となった登山者の何人かは警察なり地元の関係者にそのことを伝えるでしょう。そういうことが重なると、地元でも放っておけなくなって駆除しようということになる。だから、登山者に鈴を持たせてクマと出合わないようにしているのであって、クマの側の危険を避けるための注意書きだと思ってください。
ところが最近では、本当に登山者をクマの襲撃から守るために鈴を持たせるのだという意志を感じさせる注意書きが多くなった。
「熊というオバケ」とクマ(正確にはツキノワグマ)の関係をほとんど考慮できずに、鈴をつければ安全と信じ切っている登山者の危うさについて考えていきたいのだ。
まず私自身がどれほどクマについて知っているかという点だが、クマに会いたい、同行のみなさんにクマの姿を見せたいと思いながら、ほとんどそれに成功していない。
一度は北アルプスの雲ノ平で。水晶岳への登りの途中で遥か下の雪渓に黒い点があった。クマだ、クマだと伝えている声が聞こえた距離ではないはずだが、我々の姿を見つけたようなタイミングでハイマツのなかに逃げ込んだ。
もう一度は奥日光・中禅寺湖の高山。ここでは私の講座に参加していたある夫婦が、自分たちででかけたときに道の先でクマと出合ってしまったという。中善寺湖畔のキャンプ場にはクマが出没することもわかっていて、高山に登るたびにクマを探していたのだが、ようやく5回目に念願が叶った。道の先にクマがいて、なにかを食べていた模様。私たちは列の後ろにそのことを伝えたが、クマもゆっくりと逃げ始めて、かろうじて全員がクマの姿を目撃できた。距離はかならずしも遠くなく、ジグザグ道の次の角といったところだった。千手ヶ浜で環境問題を提起するためにクリンソウを育てている伊藤さんによると、登山者に姿を見られることを恐れていないクマが1頭いるのだそうだ。
この10年に700回以上山を歩いて、登山道でクマに出合ったといえるのはわずか1回。北海道には人を襲う危険のある大きなヒグマがいて、知床ではヒグマと観光客の接近遭遇の危険度が高くなっているとのことだが、私は学生時代、クラブが無雪期の知床半島縦走計画を進めていたことから2年にわたり、合計1か月ほど行動した。40人規模で半島全域にチームを展開したときにも、ヒグマと遭遇したメンバーはなく、私なども糞を見たり、ケモノ臭さを感知した程度だった。
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| ■アラスカ・ユーコン川のブラックベア ― 1974.8 新田次郎の『アラスカ物語』に出てくるビーバー村で。3,000kmのユーコン川を丸腰で3か月かけて下ったが、姿を見たのはこの1回だけだった |
じつは、登山道で登山者がクマに襲われた例は、ほとんどないのではないだろうか。
1970年に福岡大学のワンダーフォーゲル部の部員が北海道の日高でヒグマに襲われて3人が死亡したが、そのとき私の後輩たちも同じ山域に入っていた。命を落とすことにつながる決定的な出来事はどうも、捨てた荷物を取り戻すために現場に戻ったことだったようだ。
その事例がいまでも伝えられているように、ヒグマでも登山道で登山者とトラブルを起こす危険は(北海道大学ひぐま研究会の出没情報のおかげでもあるけれど)じつはあまり多くない。
まして人間を敵とみなすことがほとんどないといわれるツキノワグマの場合は、山菜採りやキノコ採りの人との遭遇事故がほとんどだ。飼い犬が食事しているところに手を出したら危険なように、ツキノワグマの餌場に侵入した人間が敵となるのは当然のことだろうし、お互いに夢中になって接近したとき、クマは逃げ道を失ったことによって攻撃に出るということは知られている。
登山道では、よほどお互いがうかつに接近遭遇した場合でも、ドラマチックな一瞬を残して離反することがほとんどらしい。
鈴などの騒音をまき散らしながら歩かなくても、クマとはほとんど遭遇しない。逆にクマは鈴をつければつねに周囲にちらついてくる。山と穏やかにつきあいたいのなら、熊というオバケを呼び寄せる鈴などつけないことだ、と私は考えている。
