「歩き方」の問題点
最近、下りでバテる人の状態をくわしく観察する機会があった。
まず、登りでバテるのはエンジンの吹かしすぎで、ギアの選択がまちがっているだけ。歩き方の基本がわからないだけのことだ。
下りで膝に痛みがくるのも基礎的な問題だ。負荷の絶対量が問題だと思う人が多いけれど、その前にひざ関節を守るために筋力を使っているかが問題なのだ。着地の瞬間に重心が前(つま先側)にあるか、後(かかと側)にあるかと深くリンクしている。重心がかかと側にある場合は、筋力がひざを守る態勢から完全にはずれている。
ここで語りたいのはそれとはちがう。下りでバテてしまうのだ。
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| ■南アルプス・荒川岳への登り ― 2001.9.22 南アルプスに入って3日目。千枚小屋から千枚岳(2,880m)に登った。この日は東岳(3,141m)を経て荒川小屋まで。手前に私のグループ。向こうの稜線にもう1パーティ |
下りでスピードが落ちるケースは過去に何度か体験している。初心者が恐怖感のある下りで極端に遅くなるのは正常な状態だが、あまり恐怖を感じない下りで、とくにベテランの女性に出現する確率の高い症状だ。
それもここでのテーマではないので簡単に解説しておくと、目配りに問題がある。慎重な歩き方が固定化されて、次の1歩を目で確認している。石橋を叩いて渡るのはいいけれど、足の1歩ごとに司令官の脳が着地命令を出しているのでは仕事が全然進まない。車の運転と同じで、スピードを出すときには視覚センサーとしての目はできるだけ遠くを監視いていなければならない。
そのことを強制的にわかってもらうために、年に1度か2度は日没後に無灯火で下山するような機会をつくる。視覚センサーとしての目の役割が軽くなると、足を接触型センサーとして活用しなければならなくなる。足で探りながら歩くわけだ。加えて、司令官としての脳は情報の量と質が激減した視覚を補うために、視細胞の高感度領域からできる限りの情報を取り出そうとする。暗号を解読するような作業がおこなわれる。
つまり数歩先までを一瞥して、問題がなければ現場の足に判断をゆだねて目は周囲の風景などを楽しめばいいのだ。問題があればもちろん全神経を集中させる。
ベテランになればなるほど慎重さが身についてくる。100%の安全を求めるようになる。歩き方がていねいになるのはいいが、ていねいになりすぎると高速道路を徐行するようなことになる。自分たちだけで歩いていると気づかないていねいさがそこに出てくる。
じつはそのようなケースのすべてと通底しているといえばいえるのだが、自分のリズムを見つけていないひとがいる。「歩かされている」状態のまま規模の大きな山まできてしまう。成りゆき主義では破綻する……というケースだった。
