「道迷い」は簡単に起きる
新聞報道などで登山者が遭難したとするときに「道迷い」という言葉が出てくることが多い。遭難の原因は、森林限界を超えた高山では岩稜からの転落が多いのに対して、森林帯ではその道迷いが多いはずだ。
そのほか、場所にかかわらず起こりうるのが病気に由来するものさまざま。さらに転倒などで歩行能力を阻害されて起きる小さな事故に由来するものもある。これらは内発的な事故と考えるべきだろう。
冬になると「転落」のところに冬山特有の「滑落」と「雪崩」が来て、低山での「道迷い」は雪に隠されてさらに可能性を増してくる。
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| ■地図を見る ― 2000.1.8 秩父の熊倉山(1,427m)に登ろうと思ったら道路が崩落とのこと。大持山(1,294m)に転戦した。情報が不足するとメンバーの地図を見る目も真剣になる |
その道迷いを恐れる人たちが「読図」を学ぼうとする。地図が読めれば道迷いを防げるのではないかと考えるのは当然だ。その読図をできる限り精密におこなえるようになれば、道迷いの危険は一掃されるはず、ということでいろいろな技術が伝えられている。
山登りのロープワークが元は船乗りの技術に由来するように、陸上でのナビゲーションも船乗りの航海術、すなわち海図に由来するものが底辺にある。つまり目印のない大海原や大平原に適した水平方向への読図技術がその基礎部分をなしているということを忘れてはならない。
たとえば、国土地理院の地形図に磁北(方位コンパスが指す北)を表す偏角を書き込んで方位を精密にコントロールしようとする人が読図上級者に多いが、登山道からはずれないように歩こうというレベルのことを期待していたら、逆にずいぶん危険なことに見える。
日本の山は急峻なので、わずか7度ぐらいの針のふれを気にするような人には混乱を与えるばかりで、木を見て森を見ずという危険に直結する。
森林の中で、現在位置を確認しようとして方位コンパスを頼りにするシーンは、ほとんどない……とここでは言っておこう。稜線に出たら、尾根をたどるか、谷に下るかしか選択肢はないのだから、そこでも7度の方位差は無に等しい。
例え話に適切かどうかわからないが、大昔に3か月かけて北米のユーコン川を約3,000km下ったことがある。カナダから合衆国のアラスカに入ると北極圏に入るのだが、川は大きく蛇行して、現在位置を推測するには流れる方向を知る必要があった。極北の地では真北と磁北の差があまりにも大きくて方位磁石はほとんど使い物にならない。いまならGPSを使うところだが、私たちはもっと素朴な航海術を採用した。太陽の「南中」を利用するのだ。
正確な時刻がわかれば、正午に太陽は真南にある。夏の北極圏では太陽は北北東から出て東→南→西を通って北北西に沈むというような動きだから、時計で方位を推測するのが現実的だ。
なぜ現実的かというと、私たちのカナディアンカヌーは川の流れにのって、歩く程度のスピードで下っていくしかない。カナダでは大筋で北に向かったが、アラスカに入ると西に向かって、ベーリング海峡をめざしていった。
川からはずれることはないので、方位など知らなくてもなんの問題もないわけだ。
さて、登山道も同じで、整備されてはずれようがない道なら、「道なり」にいけばいい。その「道なり」が危なくなって、「違う道」に踏み込んでしまった結果の道迷いを防ぎたいというのが本題にちがいない。
道のない薮を自由に漕いで進むというのなら(これはオリエンテーリングの環境に近いと思うが)現在位置と目標との関係を方位で確認することが重要になる。しかし登山道をはずれたら「道迷い」であるなら、予定した登山道であるなしにかかわらず、道の選択違いという範囲から逸脱してはいけない。道から外れたら次元の違うところに踏み込んでしまう。
踏み跡であれ、作業道であれ、道からはずれないという前提条件の中で、予定した登山道をたどれるかどうか、というのが基本的な要請でなければならない。地図と磁石で進もうというのは、最初から道を当てにしないと宣言しているようなものだ。
