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毎日が山歩き 案内人 伊藤幸司(糸の会・登山コーチングシステム)  50歳を過ぎてからでも楽に山歩き、愉しく山登り、のんびり山遊びが楽しめる毎日を紹介します。

物語 2008.1.31更新  

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【物語5】サーモス/THERMOS(サーモス株式会社)


テルモスからサーモスへ

山用語で「テルモス」というと保温水筒(とくに輸入の携行魔法びん)として広く定着している。昭和30年代の一大登山ブームの時代には、すべての登山者のあこがれの道具であったといっていいだろう。

ピッケルもカッコ良かった。真夏の北アルプス縦走路でピッケルをザックに差して歩いている登山者がたくさんいた。テルモスはそれほど高価な道具ではなかったが、すぐに壊れた。なにしろガラスの瓶なのだ。ピッケル同様、夏山では必要なかったともいえる。

しかしそれが冬山になると、暖かい飲み物がどれだけからだに活力を与えてくれるか計りがたい価値がある。加えて、雪を溶かして作った水を一夜明けても凍らせないためにテルモスは絶対に必要だった。

つまりテルモスを持つということは、ピッケルを持つことと同様、レベルの高い登山をしているというカッコ良さを感じさせるものだったといえる。

じつは私はその時代のテルモスを持ったことがないので、うろ覚えのレベルなのだが、外面はタータンチェックふうだったり、×印のユニオンジャックふうだったりと記憶している。

当時は登山界の第一外国語はドイツ語だったので、テルモスがのちにサーモスとなったのも、第一外国語が英語に変わっただけのことかと思っていた。

サーモス株式会社のホームページをのぞいてみると、疑問の多くは氷解したが、広告宣伝担当マネージャー・山本敏雄さんをたずねて、さらに目が開かれる思いがした。


■サーモス株式会社の展示棚
広報と宣伝を一手に引き受けている山本敏雄さんが指さしているのが1910年に米国で製造されたサーモス。隣の革ケースに入れて、慎重に持ち歩いた

応接室の展示棚には1910年に米国で製造されたサーモスがあった。二重のガラスびんを真ちゅう製のケースに収めたという印象のもの。栓はコルクだ。

「現存するものの中では、日本というより、世界でもっとも程度のいいサーモスでしょう」

問題は約100年前のそのサーモスと、いま山本さんたちが作り出している最新のサーモスとでは、性能的にどれほど進化しているのか、ということだ。

「ガラス瓶でも、ステンレスでも、本体の保温性能は同じと考えていいのです」

な〜んだ、壊れにくくなっただけのことなのか……と思ったのだが、話はそう簡単ではなかったようだ。


ホームページの解説記事は山本さん自身が書いているそうなので、ダブるところは簡単に解説すると、1892年に英国の科学者ジェームス・デュワーが二重のガラスびんの壁内空間を真空にする方法を発明した。

その「デュワーびん」を製造して「魔法びん」として世に送り出したのはドイツ人のガラス職人ラインホルト・ブルガーだった。ブルガーはデュワーの化学実験容器を製造する職人だったという。

実験用具としてのガラスの「デュワーびん」を金属ケースの中に入れて「魔法びん」としたブルガーは、1904年にベルリンに「テルモス有限会社」を設立した。そして1907年には英国、米国、カナダで次々に「サーモス社」が設立された。

しかしそれは世界企業に成長……というのではないらしく、パテントの関係でどれもサーモス社であると同時に、それぞれが個別のサーモス社であったらしい。

ちなみに昭和30年代の「テルモス」は英国のサーモス社の製品と考えていいようだ。ではなぜサーモスではなくテルモスなのか。山本さんは分厚い新聞ストックを見せてくれた。1908年6月1日付けの「Industrial Japan」という新聞に「驚く可き発明なる 寒暖壜」とある。ドイツ製の紹介だ。

つまり魔法瓶は「テルモス」として入ってきたが、戦後はほとんどが英国製や米国製の「サーモス」だったということになる。

で、山本さんのサーモス株式会社だが「世界で最初の魔法びんメーカー」と自称し、「1904年。魔法びんを最初に製品化したのが『サーモス』です」といえるのはどういう経緯によるものなのか。

サーモス株式会社は新橋の太陽日酸ビルにある。2001年に日本酸素から分社したが、日本酸素はその後、大同団結ふうに太陽日酸株式会社となっている。

太陽日酸が何をつくっているかというと、酸素と窒素とアルゴン、炭酸ガス、ヘリウム……などの各種ガス。それからガスを運ぶ容器。タンクローリーや凍結保存容器、小さいものでは産業理化学用デュワーびん、あるいは冷凍装置や連続真空炉などなど。

超大型保冷タンクというべき液化ガス運搬用タンクローリーをつくれる会社が、民生部門に進出しようとしたときに保温水筒を選ぶのは当然のなりゆきだった。

しかもガラス製の魔法びんでは後から空気を抜くのだが、日本酸素には真空中でモノを作る装置まである。真空中で穴を埋めればいいだけのことだった。

……というわけで1978年に世界初の「高真空断熱ステンレス魔法びん」を日本酸素が発売した。1988年には、これも世界初のチタン製魔法びんを発売。こわれやすいガラス製の魔法びんに対して圧倒的なアドバンテージを獲得した。

その結果、1989年には英国、米国、カナダのサーモス各社をすべて傘下におさめて、世界最大の魔法びんメーカーとなったのだ。

付け加えれば、2007年8月「山専用ステンレスボトル」が発売された。最先端の保温水筒というべきものだ。次ページで詳しく解説したい。


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