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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

周防大島情報発信人 山口県周防大島町 大野圭司(島スタイル編集長) 2006年8月2日更新

島で、やりたいコトやっとるってかっこええ!

瀬戸内グリーンの海に潜ると、日常生活のストレスは、気泡と一緒に全て吐き出される。動物である人としての本能を呼び起こす、最高のエンターテイメント。
「孫ほどええもんはおらん。けいくんが帰って来てくれて、ほんま、ばあちゃんは嬉しいんよ。」
これは、僕の祖母が口ぐせのように呟く言葉だ。僕は、2004年8月に東京から山口県周防大島にUターンし、現在、両親が経営する大野工業(建設業)の跡継ぎという道ではなく、「ひとり一人の夢が島スタイルとして輝く島へ。」をコンセプトにして、フリーペーパー“島スタイル”の編集長をしている。島の未来が気になる島民・出身者・島ファンをつなぐ島応援を収入源にするビジネスモデルを構築中。
突いたメバルは、祖母の雅代がシゴをして煮付けにする。命と歴史を継ぐ生き方が伊保田にある。

周防大島は、昨年10月1日に6島4町が合併した山口県の東南端と愛媛県の間に浮かぶ瀬戸内海で3番目に大きい島で、外周は160km、人口は2万2千人。その中でも、旧東和町は2000年の国勢調査で高齢化率50.6%を記録した日本一高齢化した地域で、僕はさらに東端の、愛媛県との県境に位置する伊保田(いほた)という494人のムラで暮らしている。その伊保田には、昭和34年は今の3.5倍1,668人が暮らしていたとあるから驚きだ。


左、筆者(本業:フリーペーパー編集長)。中央、キャプテン河内啓(本業:地域福祉、スポーツ系NPO法人)。右、テクニカル植野竹代(本業:ハタオリ工房)。

その人口減少でも特に若年人口の島外流出は、本州と周防大島を結ぶ大島大橋の架橋(1976年)と、通行無料化(1996年)により加速し続け、現在39歳以下人口では年間約200人も島外へ流出している。10年間で2千人、人口の約1割の若者が島からいなくなるのである。もっと身近な視点で見てみると、母校、油田(ゆだ)中学校の同級生は13人中4人しか島内で仕事を持って暮らしていないし、現在の母校の一学年は4、5人である。家の周りを見渡しても、北隣の櫛部のおばあちゃんも、東隣の吉久のおばあちゃんも一人暮らし。すぐ隣の矢野の兄ちゃんも姉ちゃんも、月一回ほど孫を連れて帰っているが、普段は島外で暮らしている。島を歩いてみても、子どもたちの笑い声に出会うのは稀だ。もしこのまま30年が経過すると、島には次世代の灯火が消えるかもしれない。そう感じた僕は、次世代の灯火になるべく、東京から島へ11年ぶりに帰って来た。


遠路、広島や松山から周防大島へ、家紋アロハづくりで来島した参加者のみなさん。既製品を買うのではなく、スタッフや参加者同士で創るプロセスで、アロハと島への想いは深まる。

だがUターン2年が経過し、この島の大きな矛盾を感じ、その矛盾を少しでも解消するために、さまざまな活動をしている。先日、祖母を病院に連れていく車の中で、祖母の本音を聞き、島の真実を知った気がした。
「敬老会、老人給食、病院バス。年寄りに優しい島じゃというけど、まわりは一人暮らしか老夫婦ばっかりで、病院のロビーは年寄りの社交場になっちょる。ばあちゃんみたいに孫と暮らしとるのは、ほとんどおらん」
これがこの島の現実である。

ではどうしたら、三世代がこの島で暮らすことができるのだろうか。暮らすためには仕事が必要で、役場、建設業、農協、漁協、病院福祉関係での雇用には限りがあり、今後も雇用が拡大する可能性は低い。となると若者には、自営業にチャレンジしていくしか道は残されていない。ただ、誰もがリスクを負い自営業にチャレンジしたいわけではないので、自営業にチャレンジする若者の他に、今、周防大島で暮らしている若者が、ひとりでも多く「自分は○○をしたい」と、一歩踏み出し始めてほしい。島スタイルは、島の未来が気になる島民・出身者・島ファンが、島で新たなコトを起こすための応援をしている。


20代30代の若者が島内で新しいコトを起こし始めた。Hip Hopチーム、デジタル詩人、女性カフェオーナー、板金屋3代目、パン屋、エステティシャン。次のチャレンジャーを島を歩き発見し、応援するのが島スタイルの仕事。

フリーペーパー、ブログ、インターネットTVによる情報発信。名刺、チラシ、ホームページのデザイン等によるPRツールの制作。そして、新たに2006年10月から「プレゼン実践講座」を開講することで、島で新たなコトを起こしたい人々と、それらを応援したい人々のコミュニティをつくりたい。最終的に僕が目指しているのは、
「やりたいコトやっとるってかっこええ!」
という、自由に島でチャレンジできる島の風土づくり。
やりたいコトの定義は、人が応援したくなるコトで自分がやりたいコト。いうからには、まず自分が実践。島アロハプロジェクトの“家紋アロハ”づくりは、2005年9月に6人の仲間で飲み会をした時に、閃いた「やりたいコト」。家紋アロハとは、ハワイ移民の歴史があり、アロハシャツのルーツでもある周防大島へ来島していただき、ワークショップ形式により、お客さん自身でつくる、世界に一枚しかないアロハくり。ふるさとや家をみつめなおす島おこし商品“家紋アロハ”を年間100着限定で販売中。

Uターンして2年。やれるコトは120%の力でチャレンジしてきた。これからは、今、すでに始めている仲間以外に、新しくチャレンジを始める仲間を増やすことが、島の行き先を決めるだろう。僕の息子が僕の年齢になる頃、周防大島が日本一元気な島になるために、僕は今日も島を歩く。梅雨も明け夏本番が始まったので、オフィス下の瀬戸内グリーンの海に潜り、メバルを突こう。明日も海はそこにある。

[参考ホームページ] U/Iターンの若者に  
・ 宮本常一: 周防大島文化交流センター 【情報発信】 【カフェ】
星野哲郎 周防大島.com ami cafe 228
岩政大樹 島スタイル 瀬戸内ジャムズガーデン
マウンテンマウス 島アロハプロジェクト  
ブロードバンド化推進 周防大島デジタル詩人  
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