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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

奥尻島(2)  text & photo Fumihiro Funaki 2007年10月4日更新
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いつまでも忘れないでいよう、奥尻島の地震被害を!

水中写真家・中村征夫さんは奥尻島大津波の語り部

古くから「地震雷火事親父」なんていわれていて、地震は怖いものの代表であった。なるほど3つ目までは確かに怖いが、4つ目の「親父(おやじ)」なんて、今では「頼りない」ものの代表ぐらいにしか思われていないのではないか。うっかりすると子供に斧を振るわれてしまう、という怖い事件も最近は起こるのである。いや、昔は「親父」も恐ろしかった、なんていう人もあるかもしれないが、じつはこの諺の「おやじ」は「親父」ではなく「山嵐(やまあらし)」という説もある。山嵐は山から吹き降ろす風で、時には台風の嵐も指す。これなら納得できるような気がするが。

と、ノンキなことをいっている場合ではない。バスは奥尻島の東海岸を南下し、南端の青苗(あおなえ)岬に向かっている。左手の海のかなたに浮かぶ山影は北海道の渡島(おしま)半島である。天気がよければ、対岸の建物が見えるほどの近距離である。

奥尻港から青苗地区へ向かう海岸。小石の浜に寄せる小波がきれいだ

海はきれいだ。小さな石が無数に散らばった海岸に静かに小波が寄せている。季節と天候に恵まれた日なら、これは全国どこの島の海岸にも共通の光景で、甘酸っぱい郷愁をほのかに感じさせる。静けさに包まれたこの海岸には、ほんのささやかな災いも永遠に起こることはない、と思わせるほどの深い穏やかさだ。

青苗岬附近。ここにあった漁師の家は津波に襲われ、跡形もなく消えた。今は手入れの行き届いた公園になっている

しかし、1993年7月12日午後10時17分、大地震が突然この島を襲ったのであった。マグニチュード7.8。そしてその直後の大津波と火災。地震の揺れは当然恐ろしいが、島ではその後にくる津波がさらに怖い。奥尻に襲いかかった津波は30メートルの高さにもなり、防潮堤があるところも何の役にも立たなかった。


水中写真家の中村征夫(なかむらいくお)さんは、そのとき取材で奥尻島に来ていて、地震のあったその夜は、海岸の民宿にいた。地震の揺れがきてすぐに民宿の奥さんが「逃げてえ」と叫ぶのを聞き、裸足で後ろの高台へ走ったという。その体験が朝日新聞夕刊の連載記事「ニッポン 人・脈・記 水の惑星にて(1) 奥尻の海が爆発した(2007年7月23日)」に紹介された。

……後ろでゴーッと地鳴りのような音。振り向くと、高さ30メートルの真っ黒な魔物のような水の壁が迫っていた。「飲み込まれる。もうだめだ」。水はすぐ後ろに落ちた。

公園内に立てられた「奥尻島津波館」。地震のさまざまな資料が展示され、記録映像も上映されている(2本のうち1本はメガネを掛けて見る方式の立体映像)

高台にはすでに数百人も避難していた。下の集落でガス爆発、火柱が立つ。中村は「落ち着け」と自分に言い聞かせた。

大津波の直後、中村は仕事ができなかった。民宿に遊びに来た女子中学生が、親切な漁師が、200人以上が海に殺された。「海は素晴らしい、と今さら言えるか」

しばらくして考え直した。

「お前は生きて恐ろしさを伝えろ、と残されたんだ」。津波から2ヵ月後、奥尻の海にもぐった。カニやハゼが何もなかったようにいる。「野生はしたたかだなあ」……


その後中村さんは、大津波の語り部として、講演ではかならず奥尻体験に触れ「母なる海も時に爆発する。それを忘れちゃいけない」と語り続けている。


北海道南西沖地震については:防災研究所の該当ページ
奥尻島津波館については:奥尻町公式ホームページの該当ページ
写真家・中村征夫:公式ホームページ

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