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| かぶら杉付近の緑濃い杉林 |
新武良トンネルを抜けて、100メートルほど先の道路脇すぐのところに「かぶら杉」は堂々たる姿で屹立していた。どうしてこういう形になるのだろう。根元から1.5メートルのところで幹が6本に分岐して、その6本がみんなまっすぐ上に伸びている。昭和初期までは12本の幹があったそうだが、半分は枯れてしまったようだ。幹周りはもっとも太いところで10.8メートル、樹高は42メートル、樹齢は推定600年。1968(昭和43)年6月7日に島根県天然記念物に指定された。
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| そばに立った人と比較すると、太さや大きさがよくわかる |
名前の由来は「鏑矢(かぶらや)」の形に似ているからとか、野菜の蕪に似ているからなどの諸説があると聞いた。しかし、『隠岐は絵の島歌の島』(東洋出版)によると、この杉は伐採を禁止された聖なる「神の杉」で、本来は「かむろ杉」が正しい呼び名だという。このあたりは今でこそ整備された県道316号線が通り、立派なトンネルもあって印象は弱くなったが、昔はさぞかし深い森であっただろう。その森に鎮座する聖なるご神体であった、というのだ。そういわれてみると、確かに端然とした姿からは、神々しい霊気が放たれているようにも感じられる。
屋久島にもその他の地域にも、威容を誇る杉はたくさんあるが、隠岐中村の「かぶら杉」は、分岐した幹が揃ってすっくと天に向かっているところが、神に通じるのかもしれない。しかし、この有名な杉の姿もいいが、このあたり一体の杉を中心とした緑濃い山に心を打たれた。山の斜面からまっすぐ空に向かって立ち並ぶ杉林は、肌にピリリと恐怖を感じるような“霊気”とでも呼ぶしかない、強い自然の力が漲っている。
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| かぶら杉。妙な形だが、神聖な霊気があたりに漂っているように感じられる |
さて、バスは県道316号線をさらに北東に進み、やがて中村に出て国道485号線にぶつかる。中村には海水浴場もあり、白島海岸を海から遊覧する船も出ているが、今日はここから南東に山道を下り、布施地区の浄土ヶ浦に向かう。浄土ヶ浦海岸を望む高台には「ミモザキャンプ場」がある。水道、トイレ、温水シャワー、共同炊事棟、休憩所などが完備しているので、7、8月のシーズンは多勢の利用客が夏の自然をゆったりと楽しめる。
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| 海蝕と風化を受けた荒々しい岩肌と海の対比が美しい |
浄土ヶ浦は島後のほぼ真東に位置し、深く切れ込んだ複雑な海岸線が1キロメートルほど続いていて、海蝕と風化を受けた荒々しい形の岩礁群が透き通った美しい海に浮かぶ絶景の地だ。
仏教でいう「浄土」もかくやと思われる景観なのだが、ここが浄土ヶ浦と呼ばれるのには別な理由がある。案内板の説明や、野津龍さんの『隠岐島の伝説』(自費出版)によると、こんな伝説が残されている。
<京都の紫野にいた一休和尚(一休宗純/1394−1481)が、大徳寺を復興再建するときに、たまたま虫食いの柱を発見し、これをよく見ると、「隠岐国嶋右衛門(しまえもん)には劣りし」とあった。
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| 海の透明度は高い |
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| 一休和尚の狂歌を刻んだ記念碑 |
これに驚いた和尚が隠岐に来て、布施村の海の近くに住む漁師の嶋右衛門を訪ね、二人で一夜を語り明かした。
翌朝、嶋右衛門は釣っておいた鯛を数匹刺身にして食膳に供した。こんな生臭いものしかないのでというと、和尚は、たとえ坊主ではあっても、貴殿と同じものなら喜んでいただきましょうといって、うまそうに食べた。
食べ終わると和尚は、海水を入れたタライのようなものを貸して欲しいという。いう通りにすると、和尚は「カーッ」と大きな咳払いのような声を出した。すると、あら不思議、食べてしまった鯛が生き返ってタライを泳いでいるではないか。なぜと嶋右衛門が問うと、魚を成仏させて生かしてやった、という。
そこで嶋右衛門は、では私もすぐに魚を成仏させてやりましょう、といって同じように「カーッ」と吐き出すと、なんと、弥陀、観音、勢至の3尊が金色の蓮華の台座に載ったまま出てきた。これに驚いた一休和尚は、次の狂歌を1首残して立ち去った。
釣りに出で 身はさぶ島の やれごろも 布施来てみれば 浄土なるらん >
というわけで、この布施村の美しい海を「浄土ヶ浦」と呼ぶようになったというのである。また、浄土ヶ浦は海草や魚類なども豊富だ。海草にはアラメホンダワラ、オオバモク、ヨレモクなど、また魚類ではスズメダイやウミタナゴが多く、イシダイ、メジナなどの大型魚もたくさん見られる。さらに、海底や洞窟には美しい色のイソバナ、イボヤギ、トゲトサカなどの腔腸動物やウミシダ類、カイメン類も棲む。この資源と海中光景を守るため、この一帯は島根県の海中公園に指定されている。 |