「それにしても、隠岐の自然は豊かね。都万の海も空気も昔に比べれば汚れてきたとか、魚が獲れなくなってきた、あるいは森林が減ったなどという問題はあるんでしょうけれど、こうして朝早く歩いていると、そんなことはひょっとして贅沢な注文なのかもしれないって感じたわ」
「うん、そうかもしれないねえ。この宿の前から海を見ながら屋那の松原を抜けて行くと都万川に出るでしょう。そしてあの先の海岸。この散歩コースは理想的だね。歩いているだけでいい考えが浮かんでくるような気がする。都万哲学の道…」
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| 羽衣荘前の美しい海岸 |
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| 屋那の松原の散策路。こんな路を歩くといい考えがいくらでも浮かびそうだ |
朝の散歩から羽衣荘に戻ると、男性の職員がちょうどフロントからロビーに出てきたところに出会った。奥のコーナーで、コーヒーが飲めるかどうか尋ねると、すぐに用意してくれるという。これは嬉しい。島に限らないが、最近は旅に出るとなかなか美味しいコーヒーが飲めなくなった。まあ都会でも、喫茶店というと“コーヒーらしき飲み物”つきの談話スペースみたいなところが多くなって、コーヒーそのものを楽しめる店が減っているのだから仕方がないのだが。
羽衣荘ではサイホン式で淹れてくれた。もちろん有料だが、こうして本格的に淹れてくれるところは少ない。爽やかな海の空気をたっぷりと吸い込んだ後の、淹れたてのコーヒーの味は格別だった。
「しあわせね、旅先でこんなに香りのいいコーヒーが飲めるなんて」
「ほら、何年前だったか、沼津の先の三津浜(みとはま)の安田屋旅館に泊まったでしょう。あの時もおいしいコーヒーを飲ませてくれたんで感激したね」
「太宰治が『斜陽』の冒頭部を書いたという古い旅館ね」
「そうそう。太宰が使ったと同じ部屋に泊まったことより、朝のコーヒーと女将さんの漬けた沢庵に感動したなあ」
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| 羽衣荘のロビーに展示されている隠岐の岩石。大きいのは「隠岐片麻岩」 |
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| 赤、黄、橙、紫など色鮮やかな貝殻をもつ隠岐特産の美しい2枚貝「ヒオウギ貝」。隠岐島では篭による養殖が行なわれていて、秋に直径1センチほどの稚貝が、翌年の冬には直径10センチ前後にまで成長して出荷される |
ロビーには宿泊客がくつろげるように、柔らかなソファが何脚が置かれているが、その奥まった海側にカウンターつきの喫茶コーナーがあり、残った空間にガラスケースが置かれ、その中と周辺には所狭しとばかりに、隠岐特産の鉱物や貝殻などの標本が展示されている。若干のお土産品もあるが、主力は隠岐を知るためのあれこれである。これを見ただけでも羽衣荘と支配人・的射憲一郎さんの気合がわかろうというものだ。そしてもちろん、牛突きに関連する、賞状、賞品、化粧回し、優勝旗、横綱、写真などもしっかりと展示されている。
「まるで隠岐ミニ博物館って感じね」
「さっきから見ていて感じたんだが、これだけ並べても押しつけがましいところがないのが不思議だ。きっと、隠岐を愛する気持ちが自然に反映しているからなんだろうね」
さて、今日は隠岐の旅の最終日である。まず、都万から中村までを結ぶ県道316号線を北東に進む。西郷港から北上してきた国道485号線を超えた少し先の、銚子ダム(貯水池は伊賀湖と命名されている)を右に見て、新武良(しんむら)トンネルを抜ける。2000年10月に完成した隠岐一の長さを誇る近代的なトンネルで、全長1,055メートル、幅は6.5メートル。運転者の目に快適な柔らかいオレンジ色の照明で、走行中はここが隠岐島後の山の中であることを忘れかけた。思わず、トンネルを抜けたら東京のどこかだった、なんてことのないように祈ってしまった。
祈りが通じて、ほどなくトンネルを無事に出ると、そこは緑濃い山道だった。この近くに、隠岐3大杉のひとつ「かぶら杉」がある。
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| さすが隠岐。牛突きの記念品には、大きなスペースがとられている |

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