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| 夜の海はこんなに暗い |
夕食の後、支配人の的射さんがウミホタルを見に行きませんか、と誘う。10数名が行くことになった。的射さんによると、ウミホタルは陸上のホタルのように、青白い光をなびかせながら海中を優雅に泳ぐという。ヤコウチュウと間違えやすいが、夏の夜に波の動きに合わせて海面で青白くチカチカと光っているのがヤコウチュウで、海中または海底付近で青白く光っているのがウミホタルだそうだ。
ヤコウチュウは原生動物や植物プランクトンだが、ウミホタルはカニやエビ、ミジンコなどの仲間でウミホタル科に属する小型の甲殻類。成長すると体長3ミリにほどになる。
「ウミホタルの泳ぐ姿は幻想的ですよ。今夜あたりは見ごろでしょう。夜行性なので昼は海底の砂中にいて、夜になってからゴカイ類や動物の死体などを摂餌するんですね。都万の海の静かできれいな砂泥底にたくさん生息していて、夏から秋にかけては採集容器で採れるんです」
海の中のかすかなミルキーブルーを見つめるのは、視力によっては難しいかもしれない。そこで的射さんが、自分で作った採集容器(ペットボトル状のもの)で採って、それを海に戻すことで、誰にでも光って見えるようにしてくれるという。常の仕事で疲れているだろうに、島の公報人としては夜もじっとしてはいられないようだ。
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| みんなで海を覗き込み、ウミホタルの淡い光に感動した。残念ながらその乳青色の光は撮れなかった |
8時ごろにロビーで待ち合わせて、小学生の遠足よろしく的射さんに引率されて港へ行く。夜道はさすがに暗い。都会の夜とは暗さの度合いが違う。昭和20年代の小学生時代に戻ったような気がする。あの時分の空は都会でもかなり暗かった。今は30年も前から不夜城が自慢なのだから、環境が悪くなるのも当然。人間は放っておくと近代化の名のもとに必ず自然を傷める方向に進むものだ。ギリギリの段階になるまでは、見せ掛けの反省で済ませてしまう。島の豊かな自然に触れることは、どんな宣言や法律よりも、人に自然の何たるかを教え、それを守る方向に人を動かすに違いない。
道連れはみな都会の住人のようだ。老いも若きも久しぶりの真っ暗闇に感動しながら、海を覗き込んだ。やはり何も見えない。そこで的射さんが用意してきた採集器を海に投げ入れた。数分して器を引き上げると、中にチカチカしたものがわずかに見えるような気がした。すると的射さんは、大きく振りかぶって器の中身を残さず海に戻すといった感じで腕を振り下ろした。すると、どうだ。海面から水深数メートルあたりに、乳青色の細やかな光が一斉に動き回っているではないか。見物人たちは低いうめき声にも似た感嘆の声で光のひと粒ひと筋に声援を送った。
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| 朝陽に輝く美しい都万の港 |
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| 港から見えるこんもりした都万のシンボル高田山 |
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| 朝の漁で外海に向かう漁船 |
その夜は、美しい漆黒の海に漂うウミホタルの淡い乳青色の乱舞が、目を閉じてもなかなか消えなかった。しかしほどなく、新鮮な食材の自慢どおりの料理を堪能した満足感と、心地よい旅の疲労感が押し寄せてきてぐっすりと眠った。
日常の鈍痛にも似た疲労感も、ここまでの旅の疲れとともに、昨夜の快眠で朝にはすっかり解消していた。ツレアイと私は、例によって朝の散歩に出かけることにした。宿の前の海は今日も穏やかで美しかった。対岸の緑の帽子の岩肌は、朝の光をやや逆光気味に受けて柔らかく海に浮かんでいる。陸側に少し目を送ると、都万のシンボル高田山(315メートル)が、港越しに斜に被った帽子のように見える。
羽衣荘のすぐ脇から海に伸びる防波堤に出ると、そのまま海に入っていくような気になる。外海に向かう、あるいは外海から帰ってくる小さな漁船が視線の先を横切る。穏やかな海に漁船の残す航跡は、大きな弧線となってゆっくりと広がり音もなく消えて行く。ずっとこのまま何も変わることなく、時間だけが決まった速度で流れて行くように感じられる平穏。こんな空気に浸れるのも離島だからこそである。
羽衣荘の前を通り過ぎて西側に進むと、ここは屋那と呼ばれるこの上なく美しい海岸で、長さおよそ400メートル、幅約40メートルにわたって、200本余りの老松の並ぶ松林がある。そう、ここが「屋那の松原」だ。林の中に可愛らしいイラストが描かれた由来書きがある。
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| 屋那の松原 |
<「屋那の松原」 この松は「八百比丘尼」が一夜にして植えようとしましたが、ある男がニワトリの鳴き声を真似したところ、あわてて立ち去ったと伝えられています。>
<「八百比丘尼」 ある女性が人魚の肉を食べ不老不死となったため、各地で病気の人を治し、貧しい人を助け、植栽をしながら旅をして、八百歳まで生きました。>
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| 都万の奥山から流れる都万川 |
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| 屋那の松原近くで、何かを採っている女性と出会った |
若狭の国(福井県)から隠岐にきて800歳まで生きたという八百比丘尼が、島内の各所に植えた木々の一部であると伝えられているのだ。この松林の美しさは、白砂青松百選にも選ばれているという。松原の切れるあたりに、橋が掛かっている。都万川である。牛突き場のある佐山から流れて、都万の海に注いでいる。台風の後なのでかなりの水量があった。同じ都万の奥山に、横尾山系から流れ出る「壇鏡の滝」があって、今回はそこまで行く予定だったが、台風の影響で土砂崩れがあり残念ながら行けなくなった。
ゆっくりと松林を通って羽衣荘に向かって戻る途中の林で、笹の葉らしきものを採っているご夫人に出会った。ちょっと記憶があやふやで思い出せないが、毎日のようにここにきて何か植物を採るということだった。どなたかご存じの方はご教示ください。
朝食までにはまだ少し時間があるので、港のほうに足を伸ばすと、昨夜暗闇にわずかに見えていた、「舟小屋」がずらりと並んでいる。入り江沿いに立ち並ぶ船のアパートといった風情だが、杉皮葺き木造平屋で、これはもちろん船を守るための小屋だ。ここの舟小屋は1987(昭和62)年に新しく建てられたもので、付近にはもっと古く壊れかかったようなものもいくつか残っている。高田山を背景にして舟小屋の並ぶ独特の漁村風景は、テレビや映画でもよく使われるので、気づかぬうちにここの景色を見てしまった人も多いのではないだろうか。
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| 映画やテレビでもよく使われる都万の「舟小屋」 |
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