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かつて牛突きは隠岐全島で行なわれていたが、現在本場所はこのドームで5月4日の春場所、8月15日の夏場所のほかは、都万村で9月1日に行なわれる「八朔大会」、五箇村で10月13日に行なわれる「一夜嶽大会」などだけになってしまった。
勝負する牛は「突き牛」と呼ばれ、2〜6歳の雄の黒毛の和牛。横綱クラスになると体重は800kgを超える。角と角とを突き合わせ巨体をぶつけ合い、闘争心を失って逃げ出したほうが負けとなる。隠岐では、引き綱を付けたまま最後まで闘うのがルールで、この綱とりの技術や勇気が勝負の決め手にもなる。人牛一体の激しい攻防戦が隠岐の牛突きの醍醐味だといわれている。
ドームでは観光客用の解説付きデモ勝負が随時行なわれていて鑑賞できる。本場所の迫力にはおよばないが、2頭を軽く突き合わせているうちに、次第に牛が興奮してつい本気になってしまう、というようなハプニングもある。デモとはいうものの、目の前でゴツン、ド〜ン、と大きな音を立てて巨体をぶつけ付き合う牛を間近で見る迫力はなかなかのものだ。隠岐に行かれる方はぜひ「隠岐モーモードーム」にお立ち寄りください。
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| 突き牛とよばれる牛が入場してくる |
隠岐牛突きの起源は、前回までにも触れたが、承久の乱(1221年)で隠岐中ノ島に流された後鳥羽上皇を慰めるために行なわれたのが始まりだといわれている。ある時、子牛が角を付き合って戯れているのを上皇が興味深くご覧になっていた。それを見た島人が、上皇の配流の悲しみをお慰めしようと、強そうな牛を集めて闘わせたのだというのである。
『隠岐は絵の島歌の島』(東洋出版)によれば、もうひとつ別な起源伝説もあるそうだ。それによると、都万村で9月1日に行なわれる本場所「八朔大会」の会場である、茶山(さやま)の土橋(つちはし)は戦国時代の古戦場であった。この戦乱の後の融和を図るために、民衆の参加する祭礼行事のひとつとして牛突きが始まったのではないか、というのである。
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| 引き綱を付けたまま最後まで闘うのがルール。人牛一体となって戦う |
いずれにしても、後鳥羽上皇をお慰めすることも、戦乱後の融和策も、牛突きには勝負であると同時に、平和と豊穣を祈る神事に通じる要素もあるように思う。そういえば日本の格闘技は、動物のものも、大相撲を代表とする人間のものも、みな神事に近い要素をもっている。最近の大相撲のトラブルも、神事的なものを含んでいると考える側と、単なる格闘技だとする側のすれ違いが大きな原因ではないかと思う。
別な機会に紹介することになるが、隠岐の「古典相撲」はその典型的なもので、非常に洗練されたスタイルをもっている。勝負と祈り、融和という人間社会のあり方を示す格好のイベントではないかと感心する。
何はともあれ、隠岐の「牛突き」は800年になんなんとする日本でもっとも古い歴史を誇る、伝統行事である。いつまでも続くことを祈らずにはいられない。
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| 勝ったほうの牛の、誇らしげな表情がいい |
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