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| 後鳥羽院が19年もの年月を過ごされた中ノ島が次第に遠ざかっていく |
中ノ島と西ノ島の、東の海岸と山並がしだいに背後に遠ざかるの見つめ、目をゆっくりと前方に転じていくと、いくつもの小さな島が見える。隠岐島は、島後(どうご)、西ノ島、中ノ島、知夫里島(ちぶりじま)の4つの有人島と、およそ180にものぼる無人島で構成されている。
面積がいちばん大きいのは島後で241.58平方km、周囲211km。以下、西ノ島(55.79平方km、116.5km)、中ノ島(32.31平方km、89.1km)、知夫里島(13.01平方km、50.8km)となっている。人口は4島合計約25,200人で、そのうちの約71%の約18,000人が島後に住んでいる。島の形は地図でおわかりにように、島前の3島が海岸線が深く切れ込み、複雑な形をしているのに対して、島後は海岸線はやや複雑だが、ほぼ円形をしている。
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| やや強いウネリが残る島後への海は、島後水道と呼ばれる。潮の流れが速い難所だが、数多くの島が浮かぶ、日本でも有数の美しい多島海だ |
「島前と島後は天気がよければ、互いの山並や港が見える距離にあるけれど、この間の海は島後水道という海峡で、潮の流れはかなりきついらしい」
「今日は台風の通過後で少しウネリがあるけれど、普段の穏やかな時には、小さな島がたくさん点在していて素晴らしい光景でしょうね。ほら、五島の福江島から久賀島へ行った、あの時の海を思い出したわ」
「そうだね、あの海は思わず日本のエーゲ海といってしまったほど、小さな島が密集していて美しかったけれど、ここの海は海峡とはいうもののもう少し大きくて、こうしてデッキから眺めていると日本海の大海原って感じがするね。しかし、穏やかでも潮の流れが早く小さな船で行き来するのはかなり難しいらしい。島前島後の海路は見た目より遥かに遠く感じられたそうだ。隠岐の盆踊り歌にも“ここと島前は 目で見りゃ近い 舟で通えば ほど遠い”とあるそうだ」
海士の海の三郎岩を過ぎて外海に出ると、小森島、二股島、松島、大森島、舟島、神島、四敷島、鵜図島、コグリ島、黒島、姫島など、さらに名前もわからないような小さな島が次々に見えてくる。古い民謡にはこんなものもある、
大森や 二股島に冠きて 徒に拝むは星の神島
大森島、小森島は、元は大守島、小守島と書かれ、島前と島後の中間にあって、航海や漁の安全を祈る「守り島」であったので、こんな歌が歌われていたのだろう。
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| 「隠岐国分寺外苑牛突場」、通称「隠岐モーモードーム」の入口 |
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| 全国でも初めての木製ドーム。天井の梁にも温かみが感じられる |
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| 場内に入ると、なぜか興奮する。人間って本来力勝負が好きなのかもしれない |
航路からいえば中ノ島から島後でいちばん近いのは都万(つま)の港だが、フェリーは都万村を前方左に見ながら東へ進み、島後の海の玄関、西郷港に向かう。
昨日の昼ごろに大型高速船「レインボー」で、西ノ島の別府港に向かったのであった。それがなぜかずいぶん前のことのように感じられる。後鳥羽院に集中し過ぎたからなのかもしれない。西郷湾は昨日よりずいぶん穏やかで、空も晴れているので、海面も木々も美しく輝き、西郷大橋の赤も一段と鮮やかだ。
さて、今日は485号線を北上して、まず「隠岐モーモードーム」に向かう。あの牛突きの本場所が行なわれるところだ。このドームは、じつは昨2007年2月25日の火災で本堂を失った「隠岐国分寺」のすぐそば、東側に徒歩2分の距離にある。国分寺の外苑にあるので正式には「隠岐国分寺外苑牛突場」という。
ドームの案内板によると、このドームが出来たのは1999(平成11)年3月のこと。隠岐の伝統文化である牛突きを保存伝承し、後継者の育成を図り、牛突きを核とした交流の場にする、というのが建設の目的だった。木造の屋根つきドーム型牛突き場は全国で初めてのもので、総事業費は1億9千万円。

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