●後鳥羽院御影
承久の乱に敗れ隠岐への御配流が決定すると、後鳥羽上皇は藤原信実に肖像を描かせ、御生母七条院、藤原殖子への形見として残された。上皇崩御の後は水無瀬家に寄贈され、現在は水無瀬神宮に所蔵されている。ここに展示されているのはその複製。

●後鳥羽院と刀鍛冶
後鳥羽上皇は若い時から、和歌、武芸、作刀、蹴鞠などに文武にわたる多芸多才で知られていたが、その歌についてはこれからじっくりと触れることにして、まずは作刀である。資料館前の「後鳥羽上皇番鍛冶顕彰碑」について記したとおり(1ページ)、上皇は早くから全国の優れた刀工を御所に召し、月毎に当番として作刀させた。御自身もお作りになられたという。ここに展示されている絵画は、海士町出身で昭和初期に活躍した画家、広瀬貫川(ひろせかんせん)による「鍛刀聖姿」。上皇が実際に槌を振っておられる姿を想像して描かれたもの。下に見える刀剣は「来国光」。

●書
後鳥羽院の良く知られた歌の書が何点か展示されている。左は高松宮妃殿下の書で、行在所境内に建立された歌碑のために書かれたもの。歌は「遠島御百首」のうち22番で、

故郷(ふるさと)を しのぶの軒に
風すぎて 苔のたもとに 匂ふたちばな

歌の意味は「故郷である都を偲んでいると、苔の生えたような粗末な僧衣の袂に、軒端の忍草を吹き抜けた風が通り過ぎて、橘の香りが漂ってきて、都の懐かしさを募らせるようだ」というようなことだ。しかし「故郷をしのぶ」とあれば、これは藤原雅経の、
故郷を しのぶもぢずり 露乱れ 木の下しげき 宮城野の原
が、すぐに思い出される。そして「匂ふたちばな」とあれば、これは新古今集所収、式子内親王の、
かへりこぬ 昔を今と 思い寝の 夢の枕に にほふたちばな
が直ちに響いてくるという仕掛けが、輻輳した味わいをかもし出している(後鳥羽院の和歌については、新日本古典文学大系46「中世和歌集 鎌倉篇(岩波書店)」所収「遠島御百首」の樋口芳麻呂氏の校注を参考にした。以下2首も同じ)。 
中央と右の書は、前東大寺管長、清水公照によるもの。中央の歌は「遠島御百首」18番で、

すみぞめの そでやあやなく にほふらむ 花ふきわたる 春の夕風

これは、底本によって少し表記が違っていて、新古典日本文学大系では高松宮本「類聚百首」によって、
墨染めの 袖もあやなくに にほふかな 花吹き乱る 春の夕風
となっている。歌意は「私の墨染めの袖も、花が吹き乱れる春の夕風に、美しく映えていることだ」。俗人ではない自分の袖が、春の夕風に美しく映えることを、少し面映く、あるいは理不尽だと思っている雰囲気が伝わってくる。「花吹き乱る」とあれば、清輔集の
秋の野の 花吹き乱る 夕風に 袂よりさえ 露ぞこぼるる
という歌が、思い起こされるという。

右の書は、「遠島御百首」の45番で、

おもひやれ いとど涙も ふる里の あれたるにはの はきの白露

これも、新古典日本文学大系では、
思ひやれ いとど涙も ふるさとの 荒れたる庭の 秋の白露
とある。歌の大意は「都を恋しく思うと、いよいよ涙が流れ落ちるが、今はきっと荒れているだろうその庭の秋の露は、自分の涙なのである」というようなところか。この歌には百首のうち43番、
泣きまさる 我が泪(なみだ)にや 色変わる 物思ふ宿の 庭のむら萩
や、その本歌、古今集所収読み人しらずの、
鳴き渡る 雁の涙や 落ちつらむ 物思ふ宿の 萩の上の露
などが響き合っているという。 |