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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

伊豆大島(1)  text&photo Fumihiro Funaki 2007年6月6日更新

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プロローグ

思い出とともに、ゆっくりと時間をかけて伊豆大島へ

伊豆七島の主島、伊豆大島は東京港から南へ120km、熱海港から46km、伊東港からならわずか36kmという近い島である。関東地域に住む人にとっては、行こうと思えばいつでも行ける身近な存在だ。

ところが、いつでも行けるとなると、ついつい後回しになってしまうもので、つい行きそびれてしまう。かくいう案内人の私にしてからが、前回行ったのは高校2年の時だから、何と40数年ぶりというありさまなのだ。たしか、1960(昭和35)年9月であった。その頃は前年からの激しい60年安保闘争が、6月の自然成立を期に、その熱気が急速に冷め、毎日のようにデモに参加していた大学生たちにはある種の“虚しさ”のような気分が充満していた。高校生にもその気分は何となく伝わってきて、大学受験のための“ガリ勉”に素直に没頭できない者も出始めていた。修学旅行の小規模版として船中一泊の大島旅行を学校が企画したのは、高校生が妙な気を起こさないようにガス抜きしたのではないだろうか、今から思い返すとそんな気がしないでもない。

元よりノンポリで、勉学一筋(!?)の私とその仲間は、政治にもデモにあまり関心がなかったので、夜の船旅をただ気楽に楽しんだ。その夜は天気がよかったので、ほとんど一晩中甲板にいて、夜空いっぱいの星を眺め、夢を語り歌を歌ってそのまま朝の入港を迎えた。


出港の準備をする船の姿に旅情をかきたてられる

連れ合いは伊豆大島は初めてである。
「大島はいろいろな行きかたがあるけど、どうだろう竹芝桟橋を夜に出て、翌朝6時ごろに着く、というのは?」

飛行機なら羽田から30分ほど、高速ジェット船なら2時間ほどなのに、あえて船内一泊8時間もかけて行こうというのである。
「高校時代を再体験したいのね? 船は嫌いじゃないからいいわよ」

と、思いやりに満ちた快諾を得た。うん、よしよし、出足好調。波が穏やかで寒くなければ、デッキで連れ合いにも一晩中歌を聞かせてやろう。

早速パソコンで東海汽船のホームページにアクセス。夜便は毎日あるわけではなかった。季節によって違うが4月は土日だけだ(運行日程は必ず東海汽船のホームページで確認してください)。そこで4月21日土曜日の3000便「かめりあ丸」を予約した。22時に出港して、横浜大桟橋に立ち寄り、翌朝6時ちょうどに大島に着く。この便は天候が良ければ、大島からさらに利島、新島、式根島、神津島へと向かう。

東京港竹芝桟橋は、JR浜松町駅から徒歩数分。頬に心地よい微風を受けながらゆっくりと歩いた。歩道の所々に伊豆七島の島名や産物を描いた敷石がはめ込まれている。ちょっと気の利いた広告なのだが、島へ向かう気持ちを高揚させてもくれる。

竹芝に来るのもしばらく振りである。前回は1973(昭和48)年2月、ここから小笠原に行ってポスター用の写真撮影をした。今の「おがさわら丸」よりはるかに小さい船だったので、東京湾を出ると激しく揺れ、初日の夜はひどい船酔いに苦しんだ。胃にもう何も残っていないほど吐いたのに、いつまでも吐き気が襲ってくる。このまま死んでしまうのではないかと本気で思った。しかし、2日目からはなんとその激しい揺れが快感に変わり、実に心地よく眠った。人間ってなんと環境順応度が高いのだろうと感動したものであった。

あの時の可愛いモデルももう50歳を超えたんだなあ、と懐かしく思い出す。そうです、団塊世代のみなさん。歳をとるということは懐かしく思い出すことがたくさん溜まるということなのであります。ひたすら先を見ながら頑張ってきた日々の中で、時に甘く、切なく、あるいは苦く、血わき肉踊ったり、意気消沈したりというシーンの数々を思い出しながら島旅をするのも、人生第4コーナーの大きな楽しみなのでございます。さあ、ゆっくりと島巡り。伊豆大島への旅のスタートであります。


竹芝桟橋のターミナルビル。大島行きのゲートは正面奥
かめりあ丸の雄姿

竹芝桟橋に着くと、ターミナルビルが30年以上前とは比べものにならないほど大きくて立派な“ビルディング”になっているのに驚く。そして周辺の建物も、赤ん坊だった子供を30年ぶりに見るような変わりぶりで、大人びて近代的な装いを見せている。海の匂いも昔はもっと濃くて“海”を感じさせてくれたものだ。ここには人間の営みのエネルギーと、どこかのんびりした気分が交じり合ったような、独特の雰囲気が漂っていたように思うが、今はひたすら人工的な夜の都会の光景が絵葉書のように広がるだけで、人間と自然の気配はあまり感じられない。

1階フロアはまるでシティホテルのロビーのようだ。大島便は右奥の出発ゲートを通り抜けて桟橋に出る。静かに横づけされた「かめりあ丸」の姿は、予想より大きくて頼もしく見えた。3,751トン、全長102.87m、全幅15m、最大速力19.4ノット。1986年3月に就航した。今回は時間が長いので肉体を労わり、部屋は6人部屋の1等を予約した。室内は1等というクラス名から受けるイメージほど立派なものではなかったが、この日は乗客が少なかったのか相客はなく、結果的に贅沢な専用特別室(!?)となった。船は定刻どおり、ゆっくりと桟橋を離れた。


船から見る東京の夜景。ビルの灯りが流れ、レインボーブリッジをくぐり抜け横浜に向かう

夜の横浜港に着岸する光景を船室の窓から眺めるというのは初めての体験だった。黒い海面、少し裏寂れた感じのする埠頭、その向こうに晴天の山で見る星空のように、ビルの灯りが無数に散らばっている。数人の客が乗り込んで、船は再びゆっくりと岸壁を離れた。12時を過ぎると特別な場所以外は消灯になる。私たちの部屋は他に誰もいないので自由だ。東京湾を出ると船は少し揺れ始めた。しだいに揺れが大きくなる。そうだ外海は3、4メートルの波と天気予報がいっていた。窓から海を見ると、黒い海面が身もだえするようにうねり、所々で白く波が砕けている。

しばらくすると風が強くなってきたのか、どこかのドアがバタンバタンと耳につく音を立て始めた。誰かがトイレのドアを閉め損なったのかもしれない。この音では連れ合いが眠れないだろうと、外に出てみた。かなり揺れが強く、壁に手をつくか手すりにつかまらないと歩けない。バタンの正体はデッキフロアから舷側に出るドアだった。怖いもの見たさでそのドアから出てみると、思ったより風が強く波が高い。じっと立っているのが難しいぐらいに揺れる。ゆったりとうねる黒い海を見つめていると、吸い込まれそうな気がする。砕ける白い波頭が手招きしているように感じられる。飛び込みたい衝動と、危ないから戻ろうとする気持ちが交錯する。ほんの一瞬のことだったに違いないが、ずいぶん長い時間が過ぎたような気がした。気持ちを立て直し、ドアをしっかりと閉めて部屋に戻った。
「結構揺れるわね。今夜は残念ながら歌は無理なようね」

連れ合いは、私が一瞬危険な精神状態に陥ったことなどまったく気づかぬ風情であった。揺れは小笠原行きの時に比べれば数分の1ほど。心地よい揺れに身を任せて4時間ほどぐっすり眠った。


曇天の朝方、前方に近づいてきた伊豆大島。風早崎から乳が崎にかけての大島最北端の岬が見える

朝、5時である。船室を出ると揺れはだいぶ収まったが、まだ波頭は白く小さな崩れを見せている。歩くのに問題はないが、空はどんよりと曇っていて少し肌寒い。それにしても大きな船がゆっくりと島に近づいていくのを見るのは、何度体験しても興奮させられる。そして、一度も行ったことのない島でも、なぜか長旅から母の待つ故郷に帰った時のような、ほんのりと甘い温かな気持ちになる。写真を撮りながら近づく島を見つめていると時間が経つのを忘れてしまう。しかし、連れ合いはギリギリまで部屋にいるつもりのようで出てこない。女と男とは、かく性質を異にする存在であります!!

波穏やかな岡田港
岡田港脇の美しい海
船を降りたらすぐに釣り。釣果は?

大島着岸は、その時の海の荒れ具合で、元町港に入るか、岡田港に入るかが決まる。今朝は岡田港になった。元町港はかなり波が高いらしい。岡田港近くの海は、それまでの波立ちが嘘のように静まり、岸の近くの海面は鏡のように滑らかで山影を墨絵のように映している。桟橋の右外側の少し入り江になった海の美しさには目を奪われた。雨が降りそうな曇天の早朝なのに、海面は深い緑色から淡い藍色まで、まるで南国の島の海のような濃厚な色合いを見せていた。
「かめりあ丸」は、夜の揺れなどまったくなかったかのように悠然と、定刻通り6時ぴったりに着岸した。船を降りてゆっくりとターミナルビルに向かって進む。おお、なんと今降りたばかりの若者が、すぐに大きなバッグを開き、釣りの準備を始めている。埠頭にはすでに数人が釣り糸を垂れている。私は釣りに関心がないのだが、こういう気持ちはわからなくもない。探していたプラモデルをやっと手に入れると、その場ですぐに組み立てたくなる気持ちと同じなのであろう。

東海汽船

予約・案内:TEL 03-5472-9999
伊豆大島情報は:

大島町公式サイト

伊豆大島観光協会

TEL 04992-2-2177
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