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壱岐は古墳の多い島で、江戸時代には338基を数え、現在でも256基残っている。前回紹介した壱岐の郷土史研究家、中上史行さんの著書『壱岐の風土と歴史』によると、 ……享保7(1722)年、江戸幕府の老中、大久保佐渡守が平戸藩主の松浦氏に壱岐国の石窟調査を命じた。松浦氏はすぐに調査し石窟の絵図を作り、これを幕府に提出した。この時に幕府は、壱岐国の石窟の崩壊を禁ず、と命令を下したので壱岐の古墳はよく残っているのかもしれない。……
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| 「鬼の窟(おにのいわや)古墳」の入口 |
中上さんは、1720年の『壱岐国郡鏡』には194基、1742年の『壱岐国続風土記』には338基と記録されているが、当時すでに崩壊していたものもあるはずなので、総数は400基を超えていたのではないかと推測している。いずれにしても、長崎県全体の半数以上という非常に多くの古墳がこの壱岐という小さな島に残っているのだ。
バスが向かっている芦辺町国分本村触には、「鬼の窟(おにのいわや)古墳」がある。これは1961(昭和36)年に県史跡に指定された壱岐を代表する大型の古墳。円墳で直径45メートル、高さ13メートル。内部は大きな玄武岩をいくつも積み上げた横穴式、奥行きは16メートル。この大きさは九州で2番目、全国でも12番目である。6世紀後半〜7世紀前半頃の築造で、当時の豪族・壱岐直(いきのあたい)の墳墓ではないかといわれている。
壱岐では横穴式石室古墳のことを“鬼の窟”と呼んでいるが、こんな大きな石を運ぶのはとても人間業ではない、鬼の仕業に違いない、ということからの命名だ。今回はバスから入口を覗くだけで、中には入らなかった。
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| ここが壱岐のど真ん中だという道標の「へそ石」 |
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| 緑濃い田園地帯をゆっくりと進む |
この古墳から少し先に行くと、進行方向右手に木の柵で囲まれた大小2個の石が置かれている。壱岐の人が「壱州で真中、国分が真中、へそ石真中」と唱える「へそ石」だ。ここが壱岐のど真ん中なので人間の「へそ」から「へそ石」と名づけたもののようだ。『壱岐名勝図誌』には「国分石」とあり、壱岐の中心の道標にしていたという。以前は道路を隔てた反対の南側にあったのだが、道路工事のため今の場所に移された。
「へそ石」の隣には「あごかけ石」という細長い石柱が立っている。柱の中ほど、大人の顎が掛かるくらいの位置に、謎の切れ込みがあり、足元には足踏台が置いてあるので、思わず顎を乗せてみたくなる。それで「あごかけ石」と呼ばれるようになったのだという。へそ石、あごかけ石の裏側は国分寺の跡地となっている。
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