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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

壱岐島(4)  text & photo Fumihiro Funaki 2007年11月15日更新
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左京鼻から郷ノ浦へ

海に浮かぶ赤頭巾を被った「はらほげ地蔵」

6月下旬の午後4時30分ごろ、だいぶ陽は西に傾きかけてきたが、梅雨の谷間の好天気で島はまだかなり暑く、少し歩くと汗ばむほどだった。鋭い海蝕崖を取り囲む透明度の高い美しい海、そして赤トンボが舞う緩やかな起伏の緑の台地、左京鼻の絶景はいつまで見ていても見飽きるということがない。島の人が日本三景に負けない美しさと自慢するのもうなづける。
「こんなところに、一日寝転がって海や空を見ていられたら仕合わせだねえ」
「ほんとに。嫌なことは何もかも忘れられそう」
「死にたくなったら、あそこから海に飛び降りれば簡単だし……」
「そういう憎まれ口は、この景色に似合いませんよ」
「そうだ、君はそろそろサザエのつぼ焼が食べたいんだろ?」
「あ〜あ、あなたって色気がないわねえ。もう少しロマンティックな気分に浸っていたかったのに。でも、さっき頼んでおいたからきっとちょうどいい具合に焼き上げてくれてるかもね」
「そいつは用意周到で、ロマンティックなことですねえ」

八幡浦の美しい海

左京鼻に到着してバスを降りると、獲りたてのサザエを焼いて、いい匂いを立てている店があり、「どうですか、おいしいですよ」とおネエさんが声を掛けていた。食べたそうにしているカミさんに、食べながら歩くのはみっともない、といったので、諦めたのかと思っていたら、帰りに受け取る算段をしていたとは、ニクイ。

さてバスは、えっ? はい、私も柔らかいハラワタの部分を少しいただきました。歯が悪いせいもあるが、貝はアワビだってサザエだって、ハラワタがいちばんウマイんです。海女さんが今日ここの海で獲ったばかりという新鮮さである。みごとな海の香りが口中一杯に広がりました、です。

はらほげ地蔵。足場が悪く4体しか納まらなかった

さて、バスは八幡半島の形をなぞるように南に下り西に向かう。左手に広がる八幡浦の穏やかな海が目に優しい。右手の陸側では“壱州牛”と呼ばれる黒毛和牛が草を食んでいる。松坂牛の元牛でもある壱岐の牛は、味がよく人気急上昇中だという。

赤頭巾と赤い前掛けには寄進者の名前が書かれている

ほどなく、八幡漁港近くでバスを降り、赤い頭巾を被って海に半身を埋めた姿で知られる「はらほげ地蔵」を見物する。
「“はらぼて”でも“はらぼけ”でもありませんよ、“はらほげ”です。壱岐では穴があくことを“ほげる”っていいます。お腹のところに穴があいたお地蔵さんですから、はらほげ地蔵というんです」

と、ガイドの小西さんがいう。はらほげ地蔵は、何度か場所を変えて今の場所に安置されたようだ。以前は陸上にも置かれたようだが、海に戻りたいというお告げがあった、とかで、現在の場所に移された。6体の地蔵は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道において人を苦しみから救うという。

しかし、なぜこの地蔵が祀られたのかについては諸説があって、はっきりしない。移動させる時に掘り返した地中から、鯨の骨がたくさん出てきたので、鯨漁が盛んなころに鯨の霊を慰めるために祀った、という説が有力だが、海難で命を失った人の慰霊のため、遭難した海女の冥福を祈るため、などという説も捨てがたい。

地蔵が見守る八幡漁港前の海

芦辺町教育委員会が建てた説明の看板にはこう書かれている。
「胸のところにまるい穴があるので、はらほげ地蔵と呼ばれている。干潮時には浜に降りて拝むが、満潮になると頭上まで隠れるので、胸に穴をあけて供物をあげたものだろう。…中略… 春秋彼岸明けと旧盆の15日には各戸参詣し、また旧10月24日には浦中行事として供養が行われ、浦中安泰海上安全大漁満足の祈願がされる。海中を好まれるというので、八幡漁港整備に当って現在地まで移動が行われた。<1989(平成元)年11月10日>」


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