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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

壱岐島(2)  text & photo Fumihiro Funaki 2006年8月15日更新

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原の辻遺跡と展示館訪問記

原の辻遺跡出土品にみる弥生人の生活

縮尺1/10の精巧な船着場跡復元模型

王と王妃に軽く会釈をして、エントランス右手の展示室に入る。室内の展示は多くの博物館や展示館と変わらず、順路を巡ってガラスケースの中の展示品を見たり、解説を読んだりして出口に至るという形式だが、精巧に造られた大きな模型がいくつか目にとまった。たとえば、「船着場跡」。
これは平成8(1996)年度の発掘調査で発見された「船着場跡」の10分の1の縮尺模型だ。原の辻遺跡のある丘陵西側約100mの水田で出土し、弥生時代中期(約2,100年前)日本最古のものと思われる。説明によると、
「川の中に造られており、2本の突堤と荷揚げ場、それと“コ”の字形に囲まれたドック部分と通路からなっています。突堤は、

(1)基礎の部分に木や枝や石を敷き、その上に盛土する
(2)盛土が崩れないように木で押さえたり杭で止める
(3)水で流されないように盛土の斜面に樹の皮や石を張り付け補強する
というハイテク技術を使って造られています。この工法は『敷粗朶工法』といわれ、大陸から伝わった技術と考えられますが、東アジアにおける発見例は、ここ原の辻遺跡が唯一です」
とある。なお、長さ約12mの船は大阪府久宝寺遺跡で出土したものを参考に復元したもの。高床式の建物や当時の人々の働く姿も実にリアルに再現されている。
火をともなう祭事の施設と考えられる「祭儀場」の復元模型


「祭儀場」の模型も非常によく出来ている。原の辻遺跡でいちばん高い台地上で発見された、高床建物群の一部の復元模型で、火をともなう祭事の施設と考えられている。この復元に当った東北芸術工科大学教授の宮本長二郎氏によると、建物の周囲は板塀で囲まれ、大型高殿主殿、中型高床の穀倉、小型高床の祭壇があっただろうという。

「ここの復元模型で感心するのは、建物や道具が精巧に出来ているだけでなく、人間がまるで今まさにそこで動き出すのではないか、というような確かな描写力で造られていることだね。集中してじっと見つめていると、視野から模型以外のものはすべて消え去り、自分が模型世界の中に引き込まれていき、その場の登場人物の1人になってしまうような気がする」
「そうねえ、古代遺跡の博物館とか展示館は、資料的価値が重視されているせいか、どこもたいてい静的展示になるのが普通だけれど、ここの模型をみていると実にダイナミックで、しかも人物が何か語り始めるようなロマンティックな感じがするわね」
「うん、こういう展示にすれば、古代への興味の湧きかたもずいぶん違ってくると思う。なかなかいいねえ」
カプセルを2個合わせたような形の甕棺と墓の復元模型

さらにもうひとつ感心した模型は、墓と棺である。弥生時代の北部九州一帯で使われた棺は、カプセル形状の2つの土器を中央で合体させたような形をしている。この棺を埋葬する甕棺墓もさかんにつくられたらしい。原の辻遺跡でも、環濠の外にかなりまとまった数の甕棺墓がみつかっている。その模型をみると、甕は素焼き風で、中は涼しくて結構心地いいのではないか、という馬鹿げた印象を受ける。いずれにしても死者はかなり丁寧に葬られたに違いない。この時代の墓はこのほかにも地面に穴を掘っただけの土壙墓(どこうぼ)や、平たい石を箱のように組み合わせた箱式石棺墓が造られていたという。
ガラスケースの中の土器や農耕具、武器などについては、写真とキャプションでご覧いただくことにする。

さまざまな土器。館内の説明を引用しておきます。
「弥生時代に現れた暮らしの変化は土器にもみられます。煮炊き用の甕、蓄えるための壷、供え物用の高杯(たかつき)、土器をのせたり支えたりする器台(きだい)、埋葬用の甕棺など使用目的に応じて各種の土器が作られました。弥生時代は、前期・中期・後期の3つの時期に分けられていますが、前期の土器は端正ですっきりした姿を示し、中期は均整のとれた優美さをほこるのに対して、後期は造りが粗雑になる傾向がみられます。
朝鮮半島の楽浪郡で作った植木鉢形の土器、壷、鉢などの瓦質土器や朝鮮半島の無文土器、瓦質土器、陶質土器、さらに日本の北九州や瀬戸内地方などの土器も出土しています。」
(左上は祭り用の丹塗土器、右上は無文土器、左下は弥生時代中期の土器、右下は本土出土の土器)
農具と工具。館内の説明を引用します。
「弥生時代には、木や石、金属を用いてさまざまな道具が作られていました。農工具には、耕作のための木製鍬や鋤および鉄製鋤先、収穫のための石包丁、石鎌および鉄鎌があります。
物を作るための工具には、木製の手斧の柄と手斧の刃先である扁平片刃石斧や方柱状片刃石斧、鉄製の斧や刀子(小形ナイフ)、ヤリガンナなどがあります。丈夫で良く切れる鉄製の道具が普及するのは弥生時代後期頃です。
また、原の辻遺跡では、農具や工具のほかに、石皿、磨石(すりいし)、凹石(くぼみいし)などの調理道具も出土しています。」
(上は農工具、中は手斧や蛤刃石斧、下は砥石などの石製品)
「ところで、古代の日本史でいつも気になるのは、世界の他地域との時間差だね」
「なんですか、時間差って?」
「たとえば、今日見ている弥生時代だけれど、西暦でいうとおよそ紀元前250年ごろから、紀元300年ごろとされている。2,250〜1,700年前ということになるよね。そうすると、たとえば、ギリシャのプラトンは紀元前427年に生まれ、同347年に死んでいる。でも彼の著書は非常に克明なものが残ってるよね。あるいはローマのシーザー(カエサル)は紀元前100年に生まれている。彼とクレオパトラのことなんかは、膨大な資料が残っていて日本の多くの人も、私たちに非常に近い人間として知っていると思う。しかし、同じ時期の日本の弥生時代となると、何か急に考古学レベルの、非日常的な遠い別世界のこと、という感じになってしまう。残されている建造物や道具、文字史料も極めて少ない。同時期のギリシャやローマの情報量に比べると雲泥の差があるでしょ?」
「そういわれてみるとそうねえ。今この展示館で見ているものが、プラトンやクレオパトラと同じ時代のものだなんてとても信じられないわね、たしかに」
「うん、まったく別な時代のものに見えるでしょう? どうしてこういう差が生じてしまったのかねえ、不思議だなあ」
原の辻遺跡および展示館については:公式ホームページ
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