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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

壱岐島(1)  text & photo Fumihiro Funaki 2006年8月1日更新
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プロローグ

歴史の島壱岐へ〜北の“海の道”を思う

2007年4月1日から、壱岐院通寺港へは、この唐津港に変更された。唐津湾の高島を右に見てフェリーはゆっくりと壱岐にむかう

壱岐島の院通寺(いんどうじ)港に向かって、唐津港を出たフェリー「あずさ」は快適に航行を続けている。梅雨の晴れ間に恵まれた6月下旬、名にし負う荒海の玄海灘も今日ばかりは、連れてこられた猫のようにしおらしい。
九州本土と壱岐を結ぶ航路には、高速ジェットフォイルとフェリーが福岡県博多港と壱岐の郷ノ浦(ごうのうら)港、芦辺(あしべ)港を結ぶのと、佐賀県唐津港と院通寺をフェリーで結ぶ2つがある。このうち、博多からの便は郷ノ浦止まりと、芦辺港止まり、さらに対島の厳原(いずはら)港へ行く便もある。唐津・院通寺航路は、実は2007年3月までは、佐賀県呼子(よぶこ)港と結ばれていたが、4月1日から唐津港に変更されたのである。

港変更により、新規に建てられた唐津フェリーターミナル

長崎新聞(3月24日)の記事によると、高速バスやJRへのアクセスなど公共交通との利便性を高めるために本土側の港を唐津港に移し、新造のフェリー「エメラルドからつ(984トン)」と、これまでの「あずさ(683トン)」との二隻体制にしたということだ。なお、「エメラルドからつ」は全長75.3メートル、幅13.4メートル。乗客350人、普通乗用車46台が積載可能で、あずさとほぼ同規模。船体の騒音や振動を低減し、エレベーターやバリアフリー席、車椅子スペースなども備え、「あずさ」に比べ居住性を大きく向上させたという。建造費は約19億円。しかし、案内人が今回乗ったのは残念ながら旧船「あずさ」であった。また空路は長崎と壱岐を1日2往復する「オリエンタルエアブリッジ」便が就航している。

「穏やかな海ね。今回の旅はいつもより張り切ってるみたいじゃない?」
と、いつもは船室で横になっている連れ合いが珍しく、デッキで海を眺める私に近づいてきていう。
「うん、君も見てごらんよ。このずっと向う東北東約400キロの海に、隠岐の島々が浮かんでいる。日本海なんて狭い、と何となく思っていたけれど、こうして見ていると当たり前かもしれないが、ずいぶん広いんだなあって感じる。そして向こう側、やや振り返る感じになるけれど、南南西約130キロあたりには五島の島々がある」
「そういえば、この1年間に回ったこの付近の島々にぐるりと囲まれているみたいね。それにしても事前調べはしない主義だっていつもいってるけれど、今回はいろいろ読んでいたみたいね」
「うん。実は昨年4月に出た吉川弘文館の“街道の日本史”の第49巻『壱岐・津島と松浦半島』(佐伯弘次編)を読んでいたら、その第2章の冒頭で木村幾多郎さん(1945年生まれ、大分市歴史資料館館長)がこんなことを書かれていた。
------ 琉球弧伝いに南方文化の伝播を考察した柳田国男の『海上の道』は、すでに民俗学の古典ともいうべき著作となっている。その反対の北からの文化の流れはまさしく、ここで取りあつかう対馬・壱岐・松浦ルートで、それは北の「海上の道」ともいうべき重要なルートで、相互的であるというものの、日本文化に与えた影響は計り知れないものがある。 ------
美しい唐津城

ここを読んで僕は、なるほどって思ったね。『海上の道』というネーミングには多分に柳田さんの天才が効いている。ほら島崎藤村の「椰子の実」の話、覚えてるでしょ。あれは渥美半島の伊良子崎に1ヵ月ほどいた柳田さんが、海岸に漂着している椰子の実を見て着想したんだけど、それを聞いた藤村が柳田さんに特に挨拶なく詩にして、それを大中寅ニさんが作曲して、日本人なら誰でも知ってるあの歌になった。そういうこととの連想もあって、非常にロマンティックな香りがするでしょ、“海上の道”って。
それに比べて、この九州、西北部、北部の五島列島や壱岐対馬、そして島根の北にある隠岐を含めてね、これは琉球弧ほどきれいに並んではいないけれど、この“北の海上の道”は、木村幾多郎さんのいわれるとおり非常に重要だと思う。朝鮮半島と中国との大きな架け橋になっていたわけだからね…」
「そういえば、頭の中に今浮かべてみたんだけれど、五島から壱岐・対馬、隠岐島は、緩やかな弧を描いているような気がする」

 
残念ながら今回乗ったのは新造船「エメラルドからつ」ではなく、従来路線から活躍している「あずさ」であった   いよいよ近づいてきた壱岐島、院通寺港
美しい院通寺浦のターミナルにゆっくりと着岸する

まるで湖を遊覧しているように静かに航行する「あずさ」の船上からは、海面以外には何も見えなかったが、雲に霞んだ水平線の向うに、五島、今近づきつつある壱岐・対馬、そして隠岐の、青々とした山並を連ねた島々が二人にはくっきりと見えるのであった。そして、遣唐使、遣新羅使、王朝から武士社会の大転換期を果敢に生きて破れ、隠岐島で崩御された後鳥羽院、二度にわたる元寇、朝鮮通信使など、次々とこれらの島々に関わる歴史の生々しい場面が脳裏に浮かんだ。

唐津を出ておよそ1時間が過ぎようとしていた。前方はるか彼方に浮かぶ島影が見えてきた。この、島に近づくほんの十数分間は、何度体験しても胸が高鳴る。浅い大皿をひっくり返したような形の壱岐島がぐんぐん近づいてくる。「あずさ」はしなやかに巨体をくねらせ、院通寺港にゆっくりと接岸した。

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