「ええ、まだです。“人捨て穴”を見て少し気持ちが暗くなりかけていましたから、可愛い動物の顔でも見て癒されたいですねえ」
「そこから底土港方向に向かっていく途中に本屋さんもあると思いますので」
「そうそう、本屋さんにぜひ寄ってください」
というわけで、車は“人捨て穴”の伊郷名から大賀郷方面に向かって走り出した。町役場、警察署のあるメインストリートから西南方向に少し下った、島の中央部のくびれのちょうど真ん中あたり、枯れ草が一帯に生い茂った野原のようなところで車はとまった。
「このあたりで、ちょっと降りていただいて、歩きましょうか?」
「はい。もう何でも佐藤さんのいわれるとおりにいたしますので…」
「ここは普段は観光客もほとんど来ない静かなところです。三原山から流れ出た鴨川という小さな川がありまして、今時分は水量が少なくて情けない風情ですが、夏場になってちょっと雨でも続いて降れば、子供たちが水遊びできるくらいにはなります。
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| ホタル水路。枯れ草が高く生い茂ってよく見えないが、ところどころに沼があり、鴨川も可憐に流れている |
いつごろだったか、この鴨川を改修してあちこちに水溜りを作ったりして工夫したんで、それ以来ホタルがかなりたくさん飛ぶようになったんですね。それで“ホタル水路”なんていってます。夏のシーズンは見物人もずいぶん集まります。私も何度か見ましたが、きれいなもんですよね。何でもホタルは大正時代の終わりころ(1924,5年)に神奈川県から成虫を持ち帰ったのが棲みついたといわれています。
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| ここで弁当でも広げて日がな一日本でも読んでいたくなると思わせる東屋のある風景 |
「贅沢かどうかはともかく、ホタル以外はあんまり魅力のない所だと思いますが」
「いやいや、ケバケバしいものばかりに囲まれて生きてると、感覚が狂ってしまうんですよ。ここはホントに、何というか“わび、さび”が肌で感じられます」
「それはちょっと大げさなんじゃない。すみません、この人、興奮すると大げさになるクセがあって…」
「ハハハ、まあ島の人もめったにきませんからね、この辺は。お客さんのように都会で文字を読んだり書いたりが中心という生活をされている人にはいいかも知れませんねえ」
「………」
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| 八幡宮の真っ赤な鳥居が浮いて見える |
三原山の裾を見やると大きな赤い鳥居が見える。八幡神社である。まだ芽吹き前の白っぽい景色のなかで、その鮮やかな赤は妙に浮いて見えた。初日は為朝神社をパスしたが、今回の旅では神社仏閣へのお参りはやめておく。
「しかし、いいところですねえ。大都会の郊外のこんな場所だったら、静けさを味わう前に危険を心配しなくちゃいけませんが、ここは周囲を海に囲まれた“島”ですから、危険な人物や不心得者の出没はあり得ないですもんね?」
「そうですね、危険なことがあったって話は聞いたことありませんね」
ぶらぶら歩いていると、なんとも気持ちが落ち着く。次回はぜひホタルの舞う季節に来たいと思った。
ここから八丈植物公園はすぐだ。初日と2日目はメインエントランスから入ったが、今日は南エントランスから入る。キョンの飼育場所はこちらからのほうが近いようだ。なお、八丈植物公園とビジターセンターについては、初日は第1回、2日目は第9回をご覧ください。
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| キョンの説明図。野生のキョンが生息する地域はこの地図の黄色い部分 |
さて、キョンだが、そんな動物は知らないという人も多いだろう。しかし、私のごく身近にいる八丈島に一度も行ったことのない30代の物知り男が、「八丈島のキョン」っていうのは、有名です、という。何でと聞くと、1974〜81年に「週刊少年チャンピオン」という漫画雑誌に連載された『がきデカ』の主人公、こまわり君が叫ぶギャグが
「八丈島のキョン!」
だったのだそうだ。八丈島にも、キョンにも無関係のこのナンセンスギャグがウケて、流行語にもなった、というのである。そうか、漫画ねえ。そういえば麻生外務大臣も漫画雑誌を何冊も読むというし、ニュースキャスターの鳥越俊太郎さんも、『漫画をバカにしちゃいけません。最近の漫画は何事もよく調べて描いてあって、政治も経済も、科学も、情報量が多くてなかなかのものです。私はよく読みます』なんてテレビでいっていた。やはり漫画を見なければ時代遅れになるんでしょうかねえ。漫画嫌いの同輩諸君、頑張ろう!!
「無理することないんじゃない、嫌いなら嫌いで筋を通したらいいじゃないですか」
「………」
さて、現実のキョンは、小さなシカのような可愛い動物である。向学心旺盛な諸君のために、八丈島植物公園の説明をメモしてきたので、ここに記録しておこう。
キョン(タイワンキョン)。学名:Muntiacus reevesi。
キョンは森林に棲む原始的なシカの仲間です。オスは小さく枝分かれした角をもち、上あごの犬歯が目立ちます。キョンの名前はイヌのようなその鳴き声に由来するといわれています。目の下側に分泌物を出す眼下腺があって、目のようにも見えることから、「ヨツメジカ」の別名もあります。
キョンの原産地は中国南部や台湾です。下の地図で黄色の部分が野生のキョンがいる地域です。中国大陸では揚子江流域から南は広東省、西は四川省まで広がっています。
地図は写真を参照してください。本物の姿は、20分ほど観察していたのだが、どうしたものかその間に一度も立ち上がろうとしないので、座り込んだズボラな姿しかお目にかけることができない。
しかし、この大人しそうなキョンが、ここを脱走したことがあるという。2005年3月末のこと。何者かによって檻が壊され、25頭のうち14頭のキョン(雄2、雌12)が逃げ出した。捕獲は検討の結果、人に馴れているキョンが人に危害を加える恐れは低いと判断して、無理に追い回さず、扉の空いているキョン舎に餌を置き、おびき寄せて捕獲することにした。この結果、11頭のキョンは檻に戻ったが3頭の雌キョンは行方不明となったそうだ。最終的にその3頭がどうなったかについては、調べがつかなかった。どなたかご教示ください。
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| 全員座りこんで動かないキョンたち。穴の入り口で無念無想の風情。だらけた姿で申し訳ないが、右の上がメスで下がオスです |
| ■ | 八丈島のキョン(動画も見られます) |
| ■ | 八丈植物公園 |




