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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

八丈島(10) 2007年4月4日 text&photo Fumihiro Funaki
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八丈島訪問落穂ひろい(1)

八重根港〜團伊玖磨邸

「いや〜、観光バス、楽しかったねえ」
「元気な若者もいなかったから、落ち着いた雰囲気でとてもよかった。それに播磨さん、親切で詳しくって本当に感心したわ」
中高年者の旅では、旅行代理店の企画したツアーに参加する、というのが最近では主流だろう。集合場所に行ってしまえば後は添乗員まかせ。食事から宿泊まで何の心配もない上に、ガイド付きバスでの観光だから、情報量もたっぷり。それでいて参加費は驚くほど安い、まことに至れり尽くせりのサービスでありがたい。しかし、自分の思いどおりにならないことも多いから、適当にふらりと出かける一人旅、二人旅も気軽でいい。そしてそんな時に気になるのが名所旧跡から土地の特産物まで、ガイドがいないと情報が不足してしまうことである。そこで、もし観光バスがある土地なら、これを利用するのがいい。それにですね、観光バスに乗ると、なぜか修学旅行を思い出して、淡い初恋の思い出が甦るなどという効用も期待できるのである !!

今夜の宿は、八丈富士を挟んで昨夜のホテルとは反対側に位置する「八丈ビューホテル」である。海に向かえばちょうど八丈小島が見えるという絶好のロケーション。洋風スタイルの旧館に「常春」と名づけられた新館がL字型に増築されていて、その内部は純和風仕立てになっている。日本間で布団に寝るのは、島の大地と一体になって太平洋の真っ只中に浮かぶような感じがして、迷わず新館を選んだ。

ほどよい疲れに島の焼酎が効いて、この夜もぐっすり快眠。目覚めはスッキリ爽やか。朝食は新館の食堂に行く。途中に売店があって、ここのお嬢さんがもの静かで立ち姿が美しい。つい朝から見惚れてふらりと入ると、島製品の説明はまことに熱っぽくってオススメ上手。ついつい手が出てあれこれ買ってしまった。島のお生まれですか、とつい口が滑ると、関東のある県の出身で、学生時代に遊びにきた八丈島が気に入って、ここに勤めたという。北の島のバスガイドさんとか、南の島のお土産店の店員さん、なるほどこういう島移住もありでしょうねえ、若い人には。


八重根港の魚船
島の西の玄関、八重根港。漁船が繋留されている

8時半になるのを待って、佐藤タクシーの佐藤貞愛さんに電話をした。
「昨日はどうでした? ああ、それはよかった。私、今日は大丈夫ですから、今からそちらにお迎えにいきますよ」
というわけで、もうすっかり他人とは思えない佐藤さんに今日もお付き合い願うことにした。
「最初はどうします? えっ、真っ先に温泉ですか。たしか、團先生の家をご覧になるんじゃなかったでしたかね。道順からいえばそれが最初と思いますが。今どきの午前中なら温泉はどこも空いてますから、團先生のところに寄ってから行きましょう」
そうであった。どうも忘れっぽくていけない。今日は温泉、温泉と思っていたので、パイプの先生のことは、煙りのように忘れていた。


八重根港
釣り人を乗せて、ポイントへ向かう船

車は右手に朝の太平洋を見ながら、南へゆるゆると動き出した。
「せっかくですからね、昨日はここに寄りませんでしたでしょう? 天気もいいし、まずは朝の港のいい空気をたっぷり吸ってください」
八重根港に寄ってくれたのである。小ぶりだが静かでいい港だ。漁船が繋留されているが、漁に出るのではなく、釣り人をポイントに案内するのだという。そういえば、八丈小島の周辺は釣り人には人気が高いそうだ。私は釣りにまったく関心がないので、話が盛り上がらない。早々に切り上げて、團伊玖磨邸に向かった。


團伊玖磨邸
作曲家、團伊玖磨氏の邸宅外観
團伊玖磨邸
邸宅の山側の部分、船なら後方の操縦室がある部分か
團伊玖磨邸
邸宅の海側の部分、船なら煙突のある中央部か

オペラ『夕鶴』で知られる作曲家團伊玖磨氏の邸宅は、大賀郷から樫立地区に入ってほどなく、バスの通る幹線道路から海側に少し下ったところにある。「夕鶴」を知らない人でも、“ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね”という童謡「ぞうさん」ならご存じかもしれない。あれも團氏の作品だ。團氏が八丈島に仕事場を構えたのは1963年で、この翌年から本格的に使用したという。よく知られている随筆「パイプのけむり」の連載(アサヒグラフ)が始まったのもこの1964年であった。團氏がいかに八丈島を愛したかは、氏が八丈島の多くの人と一緒に島中を探索し、植栽、調査研究し、その詳細な観察記録を300枚を超えるカードに残したことからも知られる。
氏は日中文化交流協会代表団団長として2001年5月10日から北京、上海を歴訪し、5月16日に蘇州に入った。その夜7日午前1時過ぎ、宿泊先の蘇州市のシェラトンホテルで、気分が悪くなり、救急車で病院に運ばれたが、その時点ですでに息がなく、心不全で死去した。享年77歳であった。
今残されている邸宅は、次男の建築家、團紀彦氏の設計によるもので、1994年に建てられ、翌1995年新日本建築家協会JIA新人賞を受賞したものである。現在は紀彦氏のアトリエとなっている。詳細は紀彦氏のホームページを、また團氏の「パイプのけむり」については「團伊玖磨『パイプのけむり』全仕事」をご覧ください。


「どうです。ちょっと変わった建物でしょう。白い軍艦、なんていう人もいますがね。息子さんの思い入れがある設計なんでしょう。今日は誰もいないようですね」
「佐藤さんは團さんを乗せたことはあるんですか?」
「ええ、空港から電話をいただいてお迎えにあがったことが何度かあります。亡くなられてからもう5年になるんですねえ」
佐藤さんは遠く海の方眺めながら、低い声でいった。
「じゃあ、温泉にいきましょうか。ご希望は末吉の“みはらしの湯”でしたね?」
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