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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

五島列島 福江島(9)  text&photo Fumihiro Funaki 2006年12月20日更新

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美しい海岸再び、そして遣唐使ゆかりの地

魚籃観音と高台から見下ろす高浜海岸の美しさ

夜には嵯峨ノ島の海岸でとれた新鮮なウニが食べられる、と思うと心が晴れ晴れとする。美しい景色も美しい女性も人を仕合わせにするけれど、美味しい食べ物はすべてを超越するのではないかと思う。
「素晴らしい海岸でうっとりしてるのかと思ったら、ずいぶん即物的な期待に沈没してたんですね」
「そうね、形而上と形而下は至近距離にあるっていうじゃない。言葉を失うような景色に感動するのと、ウニの美味を思い浮かべて微笑むのは両立する精神状態であります、よ」
「相変わらず理屈っぽいこといってますね。上に行きませんか。この海岸を高いところから見るのがまた最高なんです」

原塚案内人がボケかけている頭にカツを入れてくれた。


展望台から見る高浜の渚と海。まさに絶景である

おー、何という景色だ。高浜の海が眼下にゆったりと広がっている。おー、見よ。柔らかい若草色から明るい闊達な青と藍色まで、この上ない配合で交じり合い折り重なった海水の色あいの交響を。奄美や沖縄で見るサンゴ礁の海とは濃度も彩度も異なるが、ここの海の色はそれらに決して負けない豊かな色彩で、まるで甘い香りが海面から立ちのぼってくるようだ。そして波打ち際に向かって、柔らかな毛足の刷毛ではいたように、さざ波が寄せて白い弧線を描いている。そして、白い砂浜と背後の緑の山。

これ以上どのような文字を連ねても、この美しさの核心は伝わりにくい。画像に応援を頼むしかない。写真と合わせてご想像願います。


この透明度の高さ。自然の浄化装置が健全に働くと、海はこんなにきれいだ

湖面のように穏やかな海に浮かぶ嵯峨ノ島

高浜の海岸から向うには、広大な東シナ海が広がる。この日は実に穏やかで、まるで鏡のように滑らかだが、何といったって、荒海と呼ばれる東シナ海だ。少し天気が変われば穏やかな海面は一変してしまうことだろう。今から1200年ほど昔、遣唐使船もこの海の荒っぽさには大いに悩まされた。それはまた少し先で触れることにしよう。

やや右方向に視線を移動させると、湖のように穏やかな海面に、嵯峨ノ島がまるで墨絵のように浮かんでいる。手前眼下には貝津港が見え、防波堤が手前に長く延びている。この海の地平線に真っ赤に燃えて沈む夕陽の光景は、まさに絶景だという。一度は見たいものだが、夕刻はついつい一杯呑むことが優先してしまうので、夕陽と付き合うのは大変に難しい。
「ここの海がこんなにきれいなのは、海と渚が本来もっている浄化作用が、ちゃんと生きてるせいだってことだね」

海の男、荒尾船長、さすがの一言である。


航海と漁の安全を祈って建立された「魚籃観音」
「ああ、これが魚籃観音ですね。けっこう大きいですね」
「穏やかな、いい顔してますでしょ。航海の安全を祈って建てられたものです」
と原塚さんがガイドめいたことを連れ合いにいう。
「やっぱり、漁船の事故が多いんでしょうね」
「最近は船も出来がいいし、計器もある、天気予報も精度が上がってますから、漁船の事故はほとんどありませんけど、昔は多かったんでしょうね」
「まあ、漁師も命を大事にして無理をしないからね。怖いのはお客に無理をいわれた時の釣り船だな。決断が難しい。それとさ、かなり荒れてるのに岩場で夢中になってる釣師ね、危ないんだ。油断すると高波にもって行かれちゃう」
「荒尾さん、岩場でそういう事故に遭うと落ちた人はななかなか上がってこないんだそうですね?」
「うん。海流のせいもあってね。救助が大変なんだよね。私も何度か狩り出されたことあるけど、落ちた人には悪いが、あんまり行きたくない」
「ああ、魚にやられるんですね?」
「うん、柔らかいところから真っ先にやられるから…」
「いやですねえ、こんないい景色のところでそんな話…」
「大事なことですよ。釣り人の事故は五島だけじゃないですからね。大いに警鐘を鳴らさなくちゃ」
「そうだよ、八丈島でお世話になったタクシーの佐藤さんもいってたじゃない。釣人は命知らずだって」

「こういう観音さまは五島には他にもあるんですか?」
「有名なのでは、この近くの岐宿(きしく)にある千鳥姫観音があります」
「でもあれは、航海の安全とは関係ないんじゃない?」
そうそう、ここは観光協会の資料を要約しておこう。

今からおよそ250年ほど前、旅の僧と娘が恋におちて、岐宿町の白石浜から逃げようとしたところを捕まってしまって、湾内の丘で斬首された。その事件以後その丘は坊主ヶ浦と呼ばれるようになった。娘というのは、実は島の南部の富江藩主の千鳥姫だったという。許されない恋で刑死した二人の話に感銘を受けた、富江出身のあるご婦人が、1981(昭和56)年3月に、二人の霊を供養するためにこの観音を建立した。


「いいお話ですね」
「それはホントの話なんですか?」
「そのようですよ。では、そろそろ先にいきましょう」
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