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| 大宝寺前の美しい海。1200年前、ここに弘法大師が上陸された |
福江島の4人旅は、ルルドの聖水を口にし、敬虔な祈りを捧げたこともあって、ますますの好天に恵まれ、快適に進行している。荒尾船長夫人所有の車も快調そのもの。進路を東にとり、同じ玉之浦地区の古刹、大宝寺(だいほうじ)へと向かった。キリスト教の次は仏教である。信心深い二人と、ほとんど信仰心のない二人という珍道中ながら、五島福江島を旅すれば、多くの教会、神社仏閣に出会い、心が自ずから洗われていく思いがするのであった。
五島といえばキリシタン、キリスト教徒が圧倒的大多数のように島外者には感じられるかもしれないが、そもそもキリスト教が伝来したのは、16世紀半ば過ぎのことである。それまでの長い島の歴史のなかでは、仏教が中心的であったことはいうまでもない。
左手に玉之浦湾の入り組んだ繊細な海岸線、右手に洋々と広がる東シナ海の海原を声もなく堪能していると、すぐに大宝浦の海岸に出る。ここがまた美しい海である。少し先には美郎島がこんもりと浮かび、さらに遠くには津多羅島などいくつかの小島が浮かんでいる。穏やかな海で眺めているだけで心が安らぐ。

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| 大宝寺山門 |
今からちょうど1200年前の806年(大同1)年に、弘法大師(空海)が、唐から帰国してこの大宝の浜に上陸した。大宝沖に漂着したのだ、という説もある。全国あちこちに、弘法大師が訪れたという場所があるが、それらの中には僧侶、信者の願望によって生まれた伝説に過ぎない所も多い。しかし、ここ大宝には間違いなく来られて滞在し布教活動をされたのである。
海を眺めていた体をくるりと陸地に回すと、すぐ目の前に大宝寺の重厚な山門が見える。その昔、玉之浦の丘に、天竺(てんじく、今のインド)のマカダ国から不須仙人が仏教を広めるために来て、エンブダゴン(閻浮檀金)という金属で鋳造された、身丈一寸八分の聖観音菩薩をおまつりして観音院を建立した。そして、701(大宝1)年、三輪宗という宗派の宗祖であった震旦(中国の古称)の道融和尚が布教のために来島し、奈良朝の持統天皇に勅願して、その観音院を現在の大宝寺の場所に移された。ところがさらに100余年後に、今度は弘法大師が来られて、真言密教の教えを説かれて、多くの人の信仰を集め、三輪宗を真言宗に改めた、という来歴である。この由来によって、大宝寺は東の高野山に対して、西の高野山と呼ばれ、山門脇には「西高野山」と書かれた立派な石碑が建てられている。
ところで、そのご本尊である金属仏、聖観音菩薩であるが、境内の大宝寺縁起という玉之浦町観光協会が書いた解説看板によると、
「ご本尊の霊験あらたかなものあり、島内はもとより島外からも庶民の尊敬と信仰の地として集まり、当寺を中心に村落ができ、山上奥之院浄域には、不須仙人の墓と伝える古石塔、俗にへそ神さまといわれ、へその緒おさめ所、子育・子授地蔵、五島大師霊場結願所として今も変わらず篤信者を各地から集めている」
とある。
「なかなか“ゴリヤク”のありそうな、有難いお寺ですね」と、案内人の原塚さん、荒尾船長に言葉を投げかけると、原塚さんはキリスト教徒だから、あまり感心しない顔つきだ。
船長は信仰心薄いタイプだから、「霊験あらたか、とかいわれてもねえ」とあまり気乗りしない様子だ。
「でもね、宗教はさっきのルルドでもそうだけど、奇跡や霊験を信じなければ成立しないもんですからねえ。信じれば本当に救われるのですよ」
と、お説教して差し上げたのだが、二人ともニヤニヤしているだけで、まことに頼りない。
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