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| 福江港に浮かぶ「常灯鼻」 |
バスターミナルに行くと、まだ15分ほどある。少し歩いて港に行った。海に浮かぶ立派ななお墓のような「常灯鼻(じょうとうばな)」がすぐ目の前に見える。これは1846年に完成したもので、第30代藩主、五島盛成公が石田城を築くにあたって、北東から吹き寄せる大波を防いで築城工事の安全をはかり、あわせて灯台の役割をもたせるために作ったものだという。
発車5分ほど前にターミナルに戻ると、白髪の小柄な紳士がベンチに座っておられた。なかなかハンサムで、最近の日本人には少なくなった“人品骨柄卑しからざる”風情が漂っている。思わず話しかけてうかがうと、同じバスで玉之浦に帰られるところだという。今は引退されたが、五島の教会組織の要職にあった牧師さんだという。もちろん今でも敬虔なクリスチャンで、洗礼名はペテロ。あれっ、ペテロといえば、原塚さんの洗礼名もペテロだったはず。うーん、同じ名前でも人相がかなり違うなあ、などとつい失礼なことを思ってしまったが、これはキリスト教徒に限らない。日本人は昔の人のほうが立派な顔をしていると、いつも思うのである。原因はかなりはっきりしているのだが、バスが定刻通りにきたので、この話はまた別の機会に譲る。
乗客は私たち夫婦のほかには、老紳士とお年寄りの女性が数人だけである。ところが発車しかかった時に、前方から女学生が一人走ってきた。何とか間に合った。このバスに乗り遅れると、次は1時間45分後になるのだから、もっと親切に待ってあげたらいいのではないか、と思ったが、運転手氏はブスっとした表情で、感じが悪かった。

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| 五島高校。左の立派な門をくぐった先に、右の校舎がある |
というわけで一人増えた乗客は、五島高校2年の女学生で、玉之浦に帰るところだった。学校の正式名称は「長崎県立五島高等学校」。バス停のすぐそばに旧福江城があり、その敷地内に校舎がある。お城の石垣に囲まれ、立派な門をくぐって入ると、校舎は残念ながら3階建の近代的装いだが、お堀が巡り、手入れの行き届いた公園内にある高校なんて、日本でも珍しい羨ましい学校だ。東京でいえば皇居の中にある学校、というイメージなのだから。
女学生は通路を挟んで私の隣に座った。植草教授の例もあるので、自分が問題のない正常人であることをキッチリと説明してから話しかけた。携帯デジタルプレーヤーで音楽を聴いていたのだが、イヤフォンを外して付き合ってくれる。感心、感心。東京ではこうはいかない。ほとんどの子が返事もしないし、うっかりすると痴漢呼ばわりされかねない。やはり、島はいい。こういう環境のなかで過ごすから、無理に常識を教え込まなくても、自然にいい人間に育っていくのに違いない。都会の子は、半年ぐらい強制的に島留学させるといいのではないか、と思う。
音楽はいつも、携帯デジタルプレーヤーで聴くという。クラスの仲間も大半がそうらしい。家には父親の古いオーディオ装置があるのだが、それで聴くことはないらしい。ウォークマンが普及していくころもそうだったのだから、iPodをきっかけにスピーカーから音楽を聴くことが減っても、格別に心配することはない。ただ、CDやDVDのパッケージソフトの今後はどうかというと、これは大いに心配をしたほうがよさそうだ。音楽産業は重大な局面にある。あれこれ話していると、連れ合いがそっと耳打ちする。
「眠そうですよ、今の子はみんな勉強が大変で寝不足なんだから、ほどほどにして解放してあげたらどう?」
なるほど、勉強に時間もとられるだろうが、毎日片道1時間半もかけて通学するのだから、ずいぶん疲れることだろう。いつまでも話しかけるのは身勝手な行為だと反省した。それにしても、連れ合いは「ほどほどにしろ」とよくいう。癪だがそのとおりなのだから仕方がない。案の定、話をやめると、女学生はほどなく音楽を聴きながら眠ったのである。
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