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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

五島列島 福江島(1)  text & photo Fumihiro Funaki 2006年7月19日更新

五島列島、福江島訪問記プロローグ

とにかく、魚がうまい

五島列島に行くというと、大半の仲間が「うまい魚が食べられていいなあ」とか、「釣りに行くの? のんびり出来ていいねえ」などという。どうやら「五島=うまい魚」は周知の公式であるかのようだ。九州大分県出身の社員に訊くと、
「いや、五島の魚って九州でもうまいんで有名ですよ。みんな釣りにも行きたがりますし。私なんか五島に一度も行かないうちに東京に出てきたのが残念で仕方がないんです」
と、さも悔しそうにいう。しかし君、五島って魚だけじゃないでしょ、キリシタンとか遣唐使とか、といいかけると、
「いえ、とにかく魚です。東京の人は魚の味を知らないんじゃないかと思いますね。そもそも九州の魚と東京で食べる魚は匂いからして違います。その九州でも、五島の魚はうまいっていわれるんですから」
そうですか、これほどまでいわれたら五島の魚たちもさぞかし本望でありましょう。というわけで、五島列島に行くのであるが、そもそも五島列島がどんな島々で構成されているのか、長崎の海のどのあたりに存在するのか、人口や大きさは、産業は、文化は、となると東京で詳しい人は少ない。長崎の人や長崎以外の九州の人はどうなんだろう。東京の人だって伊豆七島に詳しい人は少ないのだから…。というわけで今回は、これから長く続くであろう「五島列島案内」のプロローグとして、先ずは福江島到着直後までの記録をお届けしたい。

下五島と上五島

五島列島は長崎県の西方、長崎港からおよそ100kmの東シナ海上にある。長崎と五島列島の間の海は「五島灘」と呼ばれる。列島は南西方向から北東方向に斜めに並ぶ。南から北へ順に福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島、野崎島、小値賀島、宇久島などの大きな島がおよそ80kmにわたって連なり、これらの島の周辺に約120の小島が群がるように浮かぶ。そして、奈留島から南が下五島、若松島から北を上五島という。この地域は対馬暖流の影響もあって、緯度から想定されるよりずっと温暖で、豊かな動植物に恵まれ、また地形は火山活動と長年の波と風の侵食によって実に変化に富んだ景観をもつ。その貴重な自然を守るべく、1955年(昭和30年)にこの地域のほぼ全域が「西海国立公園」に指定されている。
なお、五島といえば「魚」ではなく、「隠れキリシタンの島」と真っ先に思う人も多いはず。現在、五島列島には50の教会が残されていて、五島観光連盟(※1)では「祈りの島を旅する 五島列島教会めぐり 全50教会一覧付」というパンフレットを発行している。本欄でもそのいくつかを紹介することになるだろう。

(※1)五島観光連盟:長崎県五島市福江港ターミナルビル内(TEL:0959-72-2963/FAX0959-74-3215)

列島最大の島、福江島

五島列島南端の福江島は、列島で最大の島で、面積は323平方キロメートル、周囲は322kmある。2004(平成16)年8月1日に下五島の市町村合併によって、五島市が誕生した。五島市は福江島、奈留島、久賀島、椛島、黄島、赤島、蕨小島、黒島、島山島、嵯峨島、前島の11の有人島と、52の無人島によって構成される。市の総面積は420.73平方キロメートル、総人口は48,533(平成12年国勢調査)である。旧・福江市には長崎県の五島支庁がおかれ、五島の政治、経済、文化、交通の中心地となっている。

福江島訪問

ボンビバンの協力者、まるかわ社長の川口達三さん。アイディアいっぱいの敏腕経営者にして、五島の文化に惚れこむロマンティスト。今後いろいろな情報をいただくことになるだろう

五島市に「まるかわ」というスーパーがあり、その社長の川口達三さんが昨年暮れに小学館を訪れ、ボンビバンの中村プロデューサーと会談して、「ゆっくりと島巡り」への協力を約束してくださった。そこで、何はともあれ川口さんに連絡を入れた。訪問を歓迎するとのお言葉をいただき、アイアンマン(トライアスロンの国際レース)が終わった翌日の5月29日早朝のANA便で長崎に向かった。
長崎からはジェットフォイルで福江港に向かう。8時10分発で東京羽田空港を出ると、長崎空港着は10時(この日は午前中の羽田の離発着便の混雑で到着が15分ほど遅れた)。そこから長崎港まではバスで約45分。長崎港から11時30分発のジェットフォイルに乗ると、福江港には12時55分に着く。羽田からおよそ5時間で、はるかなる福江島に行けるのだ。これは思ったより近い。
私は船で島に行くのが好きだから、ジェットフォイル便を使ったが、長崎から飛行機で行けばさらに時間は短縮できる。ありがたい時代である。なお、飛行機便は福岡空港からも出ている。
長崎市内が交通渋滞でバスが少し遅れ、港には出港ぎりぎりの到着となり、少し慌てた。ジェットフォイルは高速でありがたいが、新潟から佐渡島の便も同じだけれど、旅情に欠けるのが残念だ。なんとなく通勤電車かバスに乗ったような気分になる。それでも窓から海を眺めるのは気持ちがいい。


長崎港を出てしばらくすると地平線上に細長い物体が見えてくる。高速船なのでかなりはやく島らしい姿に見えてくる。左から右の写真まで約20分ほど

長崎湾と長崎の山々、島々がどんどん後ろに過ぎ去って、やがて前方水平線上に何やら島影らしきものが見えてくる。初めのうちは単なる細い棒か紐のように灰色にくすんでいたのが、次第に山並らしきものに見え始める。五島列島に真横から近づいて行くのは爽快で胸が高鳴る。やっぱり島は船で来るのに限る。遠くから見ればとても人間が住んでいるなどとは信じられない、はるか海上に浮かぶ小さな物体が、やがてはっきりと視界の中で島の形に成長する。モノクロの世界から、人と動物が住み、さまざまな植物が生育する色彩豊かな生きた島に変貌していく過程が感動的なのだ。


到着10分ほどまえになると、小さな島をいくつも従えた福江島がはっきりと姿を現す(左)。右は陸から見た福江港

うまいウドンで昼食をとりながら打ち合わせ

川口さんのスタッフ原塚さん(左)と中村さん(右)
アゴ出汁のウドンは絶品

予定の時刻ぴったりにジェットフォイルは福江港に横付けした。川口さんと、今回の訪問中のスケジュール管理と案内をしてくれる原塚弘則さんのお二人が迎えにきてくれていた。挨拶もそこそこに昼食の場所に向かう。福江港ターミナルビルで人品卑しからぬ恰幅のよい紳士が立っておられ、川口さんが紹介してくれた。その人はなんと五島典昭さん、世が世なら何代目かの五島家のお殿様である。現在は五島市の観光協会の常務理事をされている。五島さんは昨日終わったアイアンマンの儀式に出席されるということだったので、今後いろいろとよろしくお願いしますという簡単なご挨拶のみでお別れした。
さて、昼食である。五島はウドンがうまいので、これを啜りながら打ち合わせしましょう、ということで港からすぐ近くの割烹風の店の2階に上がった。ここで素敵な女性が一人参加された。川口さんのスーパーのスタッフの中村さん。私の連れ合いを含め5人の食事は楽しく話がはずんだ。ウドンはうまかった。出汁が東京で食べるウドンやソバとは違う。わずかに魚のいい香りがする。アゴ(トビウオ)の出汁だという。爽やかな汁と、ほどよい弾力の細めのウドンがよく合う。これは端から調子がいい。滞在中は土地の人がおいしいというものを紹介してもらえるのだから、きっとうまいものばかりで大いに食が進むことだろう、と出っ張った腹をやさしく撫でてやった。
川口さんや、その他のメンバーとはまたあらためてお目にかかることにして、昼食後は中村さんの運転、原塚さんの案内で、島の北東端の「堂崎教会」と、南東端の「鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸」に行くことになった。

キリシタン禁教令解除後、最初に五島で建てられた堂崎教会

キリシタン解禁後、五島で初めて建てられた由緒ある堂崎教会。赤レンガのゴシック様式が美しい

 堂崎教会の由来は、教会の案内板に基づいて記すと以下の通りである。
キリシタン禁教令が解除されたのは、1873(明治6)年であった。それから4年後にフランス人宣教師フレノー、マルマンの二人が五島にやってきた。解禁を受けて五島にキリスト教を復興させるためである。マルマン神父は1879年、堂崎小聖堂を建立して初代主任司祭となった。その後1904年に2代目主任司祭ペルー神父が用地を拡大して、現在の赤レンガ造りの新聖堂建設を着工し、4年後の1908年に完成させたのである。
この聖堂は、長崎で処刑された五島出身の26聖人の一人、ヨハネ五島を祈念して「日本26聖人殉教者聖堂」と命名された。外観はイタリアから運ばれたレンガのゴシック様式、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井法という教会堂建築に仕上げられている。かつては、五島布教の中枢教会であり、社会奉仕施設や修道院の草分けでもあり、キリシタン史上重要な位置を占める由緒ある教会で、今でも巡礼者が絶えないという。教会内は敬虔な雰囲気にあふれた静かな佇まいで、受難の歴史にまつわる資料も展示されているが、残念ながら撮影禁止でご覧いただけない。

五島列島 福江島マップ
五島出身の殉教者、ヨハネ五島の像。多分島の漁師であった彼が没したのはわずか19歳の時であった(上)。下は初代主任司祭マルマン神父と2代目主任司祭ペルー神父の像。いすれも教会内の正面庭にある
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