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| 琉球石灰岩が東シナ海の波と風に浸蝕された犬田布岬 |
徳之島西岸3大景観スポットの3番目は、奄美十景にも数えられる伊仙町北西部、東シナ海に三角に迫り出した「犬田布(いぬたぶ)岬」である。空港からだと、ざっと18.5キロほど南になる。
しかし、伊仙町で全国的に有名なのは、まず長寿の代表、泉重千代さんだろう。徳之島を知らない人にも重千代さんの名は広く知られている。ギネスブックが「114歳の長寿世界一」と認定したのは1979(昭和54)年。重千代さんは1865(慶応元)年8月20日に伊仙町の阿三というところで生まれ、長寿世界一認定後も元気に過ごされ、何と120歳237日という天寿をまっとうされ、1986(昭和61)年2月21日にその生涯を閉じられた。白く長い顎鬚と、毎夜欠かすことがなかったという黒糖焼酎の晩酌姿を、新聞、テレビなどでご覧になった方も多いことだろう。
そうそう、伊仙町には女性の長寿者もいる。その名は本郷かまとさん、通称“かまとおばあちゃん”。本郷さんは、伊仙町の木之香というところで1887(明治20)年9月16日に生まれた。その晩年は2日寝て2日起きる長寿おばあちゃんとして、こちらも全国的に広く知られている。ただし、本郷さんが徳之島におられたのは77歳まで。その後は鹿児島市に移られた。世界最長寿者としてギネスブックに登録されたのは、2002(平成14)年3月114歳の時だったが、翌2003(平成15)年10月31日、116歳45日で亡くなられた。
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| 数10メートルの断崖に激しく打ち寄せる波 |
犬田布岬は琉球石灰岩が東シナ海の波と風に浸蝕され鋭く切り立った崖で、突端部の高さは40〜50メートルある。海面からほぼ垂直に立ち上がった絶壁だが、上部地表は天然高麗芝のスロープ地帯となっている。荒々しくゴツゴツした崖と柔らかな緑の芝生が美しい対比を見せ、遠く広がる大海原と合わせて、奄美諸島を代表する景勝地となっている。
ここまで来てもまだ雲は切れない。どうやら雨は大丈夫なようだが、太陽はまったく顔を出そうとしない。沖合いの海は相変わらず青黒く沈んでいる。しかし崖に向かって寄せる淡い緑色を帯びた波は、これまでの2つの海岸よりも長く伸び、やがて膨らんで白く砕ける様子は、まるでスローモーション映像を見ているような印象を受ける。
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| 岬の突端部付近の断崖に襲い掛かる美しい波 |
地上のなだらかなスロープを海に向かって下りると、突端の少し手前の台地に、天に向かってすっくと長身を伸ばした塔が立っている。24mの高さのこの塔は第2次世界大戦の最終盤、1945(昭和20)年4月、沖縄に向かう途中、この岬の沖合いで撃沈された「戦艦大和」を旗艦とする特攻戦艦隊戦没者の慰霊塔だ。通称「戦艦大和慰霊碑」。戦艦大和は千機を超える戦闘機と潜水艦の攻撃を受けて沈み、3千人を超える兵士が亡くなった。終戦の判断が遅れたばかりに、ここでもこのような惨たらしい悲劇が起きたのである。毎年4月7日には多くの遺族の方々が来島し慰霊祭が行なわれている。
伊仙町の公式ホームページによると、慰霊塔は1968(昭和43)年、当時の迫水久常参議院議員の呼びかけによって全国的な募金活動が行なわれ、その資金で建立された。しかし、40年の歳月の風雨にさらされた今、塩害と風化によって破損した部分もあり、倒壊の危険すらあるという。そこで伊仙町は慰霊塔の再建を計画している。再建費用は6千万円。「戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士慰霊塔再建募金」の活動が始まっている。再建の目標は2009(平成21)年12月ごろだという。詳細は、再建実行委員会のページをご覧ください。
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| 戦艦大和を旗艦とする特攻戦艦隊戦没者の慰霊塔 |
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慰霊碑の手前には大和地蔵尊がある |
また、犬田布といえば「犬田布騒動」も忘れられない事件として島の歴史に刻まれている。これは1864(文久4)年4月に犬田布村で起きた一揆。当時薩摩藩の過酷な砂糖政策によって島民は砂糖の売買が禁じられていた。ところが農民の新山為盛が砂糖の横流しの疑いで捕らえられ拷問を受けた。彼を救出しようと犬田布の農民150人余が蜂起し、仮屋を包囲し役人を追い、森に7日間篭城した。
奉行所は村民全員を罰することなく、責任者の7人のみを島流しにして無血で解決した。この騒動が全島に知れ渡り、その後の砂糖取締りは大いに緩和された、という事件である。1964年に犬田布岬で百年祭が行なわれ、記念碑も建てられた。

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