バスは龍郷町の大島紬村を出て、国道58号線を東に進む。左手に東シナ海の穏やかな笠利湾を見て、ほどなく赤尾木の信号を右折して82号線に入り、右手に太平洋のサンゴ礁の海を見ながら空港方向に進む。わずか滞在3日目にして、この道を通るのは8度目になるだろうか。何度通っても見飽きるということがない。同じ季節の短期間でも飽きないのだから、これに季節の変化が加われば、その新鮮さはもう不滅だ。
![]() |
| 奄美大島と奄美群島を知りたいなら、まず「奄美の郷(さと)」をじっくりと見よう |
間もなく空港手前左手高台の「奄美パーク」に着く。ここは、1988年7月10日に現在の奄美空港が開港するまで、奄美大島の空の玄関として活躍した「旧奄美空港」であった。よく整備された野外ステージをもつ公園と展望台、博物館、美術館が一体となった、モニュメンタルスペースである。奄美大島と奄美の島々を知るには、ここは絶対に外せない。
2001年9月30日にオープンした。奄美パークの園長と、田中一村美術館の館長には、あの宮崎緑さんが就任した。
「宮崎さんって、あのNHKのニュースキャスターだった方?」
「そう。9時からのニュースのメインキャスターって彼女が女性では最初だった。ずいぶん話題になったね。きれいだからオジさんに人気があって、政財界のお歴々にも彼女のファンは多いそうだよ」
「きれいはともかく、宮崎さんって奄美のご出身?」
「たしか神奈川県の湘南高校出身だから、奄美生まれではないね。1983年に慶応大学の修士課程を終えて、NHKのキャスターになったのが82年だから、そうか大学院だけど在学中だったんだ。専攻は国際政治学、政策情報学。NHKのキャスターを辞めた後は東京工業大学の講師やいろいろな審議会の委員などを務められた。審議会の一つに、中央森林審議会というのがあって、そのメンバーとして屋久島に何度も行っているうちに、奄美の島々とも縁ができたそうだ。そして、鹿児島県知事直接の要請で園長、館長に就任された…」
「詳しいわね」
「昨夜のホテルで調べたの、インターネットでね。少しは勉強しないとさ」
「あなたも宮崎ファンだったんじゃない?」
「まあね。今でも月に2回ぐらいはここに来られて、大島紬を着て来園者を迎えたりされているそうだよ。今日はひょっとして…」
![]() |
| 奄美パークの園内案内図 (詳細は奄美パークのHPへ) |
上原さんの名調子を聞くのも、もう少しの間と思うと寂しい気がする。
![]() |
| 「奄美の郷」内部の案内図(奄美パークパンフレットから) |
5組のメンバーは、それぞれ思い思いの方向に散っていった。私と連れ合いは、まずドーム球場を思わせる「奄美の郷」に入った。ドーム球場なんて失礼な表現になってしまったが、実は白い貝殻をモチーフにしたのだそうだ。円形の内部は天井が高くて圧迫感がない。それでいて体育館のように雑駁な感じがない。これには、梁などが琉球松の大断面集積材でソテツの葉をイメージした構造になっている、という奄美ならではの工夫も効いているのだろう。床面積は約3,200平方メートル。とりあえず、手前の目に触れたところから順に見ていくことにした。
[ アイランドインフォメーション ]
メインエントランス左手の壁面に設置されているコーナー。最初のパネルを見るとこう書かれている。
![]() |
| 「アイランドインフォメーション」のコーナー |
―アイランドインフォメーションには、奄美大島(加計呂麻島、請島、与路島を含む)、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の5つのブースがあります。そこでは島ごとに、その島の概要や特徴、見どころ、物産品などのほか、島の人々からのメッセージを紹介しています。アイランドインフォメーションは島の魅力の情報発信基地、いろいろな情報をここで入手して、感動いっぱいの奄美の島へ出かけてください。―
まずは奄美群島の全体像をここで知る。きれいな写真と簡潔な解説に加えて、小型モニターでビデオ映像も見られる。端から順に見て進むと、この奄美群島の自然の豊かさにあらためて感心する。そしてその自然から島の人々が実にさまざまな恩恵を受けているのがよくわかる。これらの島々のどこかに拠点を置いて、気持ちのおもむくままに訪れることができたなら、一生の3倍の時間があっても飽きないほどの魅力にあふれている。



