「母の着物?」
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| 道端の可愛い「案内狸」 |
「ええ、私も母にもらったのがあって、たしか60年ぐらい前に買ったものだって母はいっていたけれど。でも私のは安物だから奄美の紬じゃないかもしれない。お宅は本物よ、きっと。お祖母ちゃんは本物志向の人だから」
「いや、父はただのサラリーマンですから、高価なものじゃないと思うけど」
と、話が難しい方向に進みかけたので、目を足もとに落とすと、可愛い狸が、
「いらっしゃい、すぐそこが泥染・紬工場ですよ、ダンナ」
と声を掛けてきた。
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| 源流社発行の「日本の手わざ2 大島紬」。数多くの写真で、大島紬の出来るまでがわかりやすく解説されている |
ここからは案内人が狸から平勝也さんに交代する。説明は平さんのお話と、忘れた部分は「日本の手わざ2 大島紬(源流社)」で補う。
まずは、シャリンバイ(車輪梅)染色についてだが、これが聞きしに勝るものだった。シャリンバイは亜熱帯系のバラ科に属する常緑樹で、繁殖力が非常に強くて奄美ではあちこちに自生しているのだそうだ。しかし成長が遅くて、染料に使えるようになるには20年以上もかかるという。繁殖力が強くて成長が遅い、というのは妙な木である。ひょっとすると“不老長寿”にも役立つのではないか、と思って隣のKさんを見ると、同じようなことを思っていたのか、ニヤリとした。
シャリンバイの染色成分は樹皮に多く含まれている。しかし樹皮だけはがすのは難しいので幹や枝ごと細かく切る。要するに表面積を大きくして染色成分が出やすくするわけだ。今はどこの工場でも機械でする作業だが、昔は斧で薪割りのようにして作るのだから結構大変な労働であったようだ。
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| 細かく切ったシャリンバイ材を鉄製の大釜で煮沸して染液をつくる |
細かく切ったシャリンバイは大釜で十数時間煮沸する。成分が出やすくするために、水に重曹を加える。染色の成分を煮出した(煎出という)染液は、およそ100kgのシャリンバイから、200〜300L採れるそうだ。タンニン酸と色素を多量に含有したこの染液は冷やしてから使う。
大島紬の素材は絹だが、この絹糸をシャリンバイで染色する作業が、聞いて驚いた。何度も何度も繰り返すのである。その途中3回に1回、染着をよくするために石灰液に漬ける。こうして何度も染色を繰り返すと、次第に黄色っぽい色から濃い茶褐色に染まっていく。
写真をご覧いただこう。平さんの頭上にぶら下がっているのが、染色回数による色の変化を示す見本だ。左から染める前の白い絹糸。右へシャリンバイ染4回、8回、16回、20回とあり、次第に色が濃くなるのがわかる。そしてさらに右へ進むと、シャリンバイ20回と泥田1回、シャリンバイ80回泥田5回と泥染した見本があり、あの風合豊かな黒い大島紬の糸になっていくのがわかる。
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| シャリンバイと泥で染色する回数と色の変化を示す見本の絹糸 |
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| 泥田での作業。長年の経験によって蓄積された熟練の職人技が仕上がりにものをいう |
シャリンバイで濃褐色に染まった絹糸は、熟練の技で何度も泥染めされ、泥に含まれる鉄分が染着して、あの“カラスの濡れ羽色”のようなしっとりとした光沢の漆黒に染め上がるわけだ。実に100回にもおよぶこの工程を“泥染”といい、糸の芯まで染まって色落ちしなくなり、柔らかな手触りも得られるという。かくして純白の絹糸は大島紬の素材に生まれ変わる。
しかし、驚くのはまだ早かった。原料の絹糸から大島紬の布地に仕上がるまでには、実は気の遠くなるほど複雑で細かい工程の作業が積み重ねられるのである。織物というと、女性が織機に向かってパタンパタンとやっている姿を想像するが、実はその段階は最終工程で、そこにいたるまでに、誰がこんな手法を考え出したのかと不思議になるほど精密で難しい作業があるのだ。この労を惜しむことなく、理想を追求するという物づくりの精神こそ、私たちの社会が失いかけているものではないのか、と胸が痛む。大島紬村の製品に対する自信と誇りは、その製品の案内にも素直に書かれている。
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| 本欄案内人、私めの所有する大島紬の端切れによる小物。名刺入れとフクロウ | 本欄案内人の家に残された着物。これが本物の大島紬であるかどうかは…? |






