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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

奄美大島(6)2006年8月16日 text&photo Fumihiro Funaki

白い砂浜とリゾートホテル、そして島唄

バスは今夜の宿「コーラルパームス(Coral Palms)」に向かっている。進行右手に太平洋を眺めながら、初日に昼食をとった「ばしゃ山」、そして奄美空港を通り過ぎて笠利町を北上して行く。昨日、空港に着いた時には雨だった。それが今日は半潜水式水中観測船に乗って大島海峡の素晴らしい海岸線を楽しみ、海中サンゴと色鮮やかな南の海の魚たちを手を触れるような近さで見ることができた。そして午後は、マングローブ原生林でカヌー初体験もできた。これが雨振りだったらと思うと、自分が「晴れ男」で本当によかった、みんなのためになったと心から両親に感謝した。

「何をオーバーなこといってるんですか。晴れ男のせいじゃありませんよ。たまたま運良く晴れたんです」
「たまたまって、晴れ男のお陰なんじゃない? それはともかくさ、カヌーは楽しかったね。これから始めようかな本格的に」
「あらっ、さっきはスゴイ音で木にぶつかってたじゃない。私、木を折っちゃったらどうやって弁償するのか、って心配だったわよ」
「いや〜、Kさんの奥さんにはかないませんねえ。指導の青年がいってたじゃないですか、ぶつかりそうになったら、慌てずに、むしろぶつかちゃったほうが安全だって」
「でもさ、すごい音だったわよ。二人乗りは難しいっていわれたもんね」
「まあ、いいじゃないか、他人様のことは。あんただって何度も隣近所のカヌーと擦りあってったよ」
「アハハ、そういえばKさんは、なかなかお上手でしたね」
と、他愛もない話をしていると、ガイドの上原早苗さんが、
「みなさん、楽しかったようですね。ご案内した私たちもとっても嬉しく思います。ところで右側をご覧ください。太平洋が見えていますが、水平線のあのあたりに、運がいいと喜界島(きかいじま)が見えるんですよ、今日はどうでしょうか」
という。みんな窓から顔を出さんばかりにして海上はるかな水平線に目を凝らした。
「あっ、見えてるんじゃない? ほら、あそこ。うっすらと棒か平たい石みたいな格好で」
と、K夫人。
「そうですね。たしかに見えてますね。今夜のホテルからもきっと見えると思いますよ。喜界島は奄美大島の北東約25kmの太平洋に浮かぶ、隆起サンゴ礁の美しい島です。“クレオパトラ・アイランド”なんて呼ばれることもあるんですよ。そうそう、昨日お教えしましたね、あまりきれいじゃない人のことを“ばしゃやま”っていうんでしたね。じゃあ美人のことはなんていうんでしたか?」
「………」
「あら、皆さん、もう軽く幼児逆戻り現象が始まってらっしゃるんでしょうか? 美人は“きょむらん”っていうんです。今日はぜひ覚えてくださいね。ついでに美男子、みなさんのような男の方(フフフ)のことは“きょらねっせ”っていいますよ」

方言は聞くと耳心地がいいけれど、なかなか覚えられない。


2日目の宿泊はリゾートホテル、コーラルパームス。全室オーシャンビューのゆったりした部屋がうれしい

「さて、みなさん。今夜お泊りいただくホテルは、“コーラル・パームス”っていいます。コーラルは“Coral”で“さんご(珊瑚)”ですね。パームスは“Palms”で“やし(椰子)”ですから、奄美にぴったりのネーミングですよね。とってもきれいなホテルですが、中庭から海に出られます。今日はまだ早いですから、ぜひ海岸に行ってみてくださいね。大瀬海岸っていいますけれど、砂浜です。サンゴの屍骸が長年にわたって波風に洗われて、きれいな真っ白い砂粒になっているんです。この砂を、高校野球の選手が甲子園の砂を持ち帰るように、ぜひ記念にお持ち帰りください。お家に帰られたらちょっと洗剤をたらした水で洗いますと真っ白になりますから、香炉に入れるとか、きれいなガラス器にいれるとかいろんなことに使えます」
  バスがグラリと車体を右に傾けて海側に曲がるとすぐにホテルが見えた。いかにも南のホテル、という感じの爽やかな姿をしている。

プールやジャグジー露天風呂もあるホテルの
中庭

6時の夕食までに1時間ほどある。海岸に行ってきて一風呂浴びるぐらいの余裕はありそうだ。部屋は昨夜のビジネスホテルに比べて、3倍はあろうかという広さで、トイレや洗面所、風呂もたっぷりと空間があって快適だ。正面は全面ガラスの引き戸で、開けるとバルコニー、そこから雄大に広がる太平洋の大海原を潮の香りとともに満喫できる。

「ああ、これだ。これが島にくる最大のご馳走だよね。いつまで見ていても飽きない」
「本当ね。でも、海岸に行くならすぐ行かないと、食事前にお風呂に入る時間がなくなりますよ」
「うん、そうだね。すぐ行きましょう、海へ、砂浜へ。あっそうそう、砂を入れる袋を忘れずにね」

ロビーから中庭に抜けようとすると、壁のポスターが目にとまった。当原(とうはら)ミツヨさんの今夜の島唄ライブの案内だ。添乗員の菅谷えりかさんが、さっきここに着いたときに“絶対お勧め”といっていたのはこれだった。8時からだ。もちろん行く。


中庭の向うに太平洋の大海原が広がる

中庭に出ると、かなり広い。手入れの行き届いた芝生。ひょうたん型のプールもある。丸い大きな鍋のような器が置かれた壁のない木組みだけの建物がいくつかある。なんだろうかと不思議に思ったが、後でジャグジー露天風呂と判明した。左奥には柵囲いのスペースと小屋があり、可愛い子ヤギと、大型犬(ミックスか)がいる。彼らへの挨拶は明日の朝ゆっくりすることにして、まっすぐ前に進んで細い道を越え、路肩を下りて砂浜に出た。

人は一人もいない。きれいな砂浜に小さな波が爽やかな軽い音を立てて押し寄せ、ゆっくりと引いて行く。リーフの向うは海の青さが濃く少し波立っている。砂が茶色っぽいのは昨日の雨のせいだろう。夏の太陽が燦燦と降り注げば、紺碧の海と対照的にこの細かな砂が白く輝くはずだ。しかし、すぐそばに風に倒された木もある。台風がくればこの穏やかな海が牙をむき出して荒れ狂うに違いない。この砂浜では大きなヤドカリも見られると聞いたが、見つからない。時間があまりないので、高校球児よろしく二人でビニール袋に砂を入れて部屋に戻った。

大瀬海岸の美しい砂浜と海

砂浜に咲く可憐な花。このあたりには大きなヤドカリがいる。夕方は見つからなかったが、翌朝N夫妻は同じ場所でかなり大型のを見たそうだ

夕食の会場は中庭の別棟レストラン。今夜はジンギス汗鍋風の焼肉。グループ全員が同じテーブルに集まるのかと思ったら、空いているテーブルに各自適当に座っていいという。たまたま繁忙期ではなく宿泊客も少ないので、添乗員さんが配慮してくれたものと思う。しかし二人で食べるのもいいが、せっかく親しくなったのだから、みんなで一緒に食べるほうがよかったかもしれない。それにしても、今日は昼も夜も、鶏飯とか、やぎ汁、油ゾーメンといった島料理ではないのが、心憎い。明日の昼食は鶏飯というから、ツアーの企画者は2泊3日7食の取り合わせに工夫を凝らしているのだろう。

笠利町出身の奄美を代表する唄者、当原ミツヨさん

部屋に戻って着替えて、当原ミツヨさんの島唄ライブを聴きに出かけた。会場は本館とは別棟で、夕食のレストラン棟に向かう手前にあり、普段はバーとして使われているようだ。どうやら一杯飲みながら聴けるようだ。グループの男性5人は私を含めて全員が酒好きなので、これはありがたい。


当原ミツヨさんは島唄の盛んな地元笠利町の出身。子供の頃伯父の三味線、島唄に興味をもち、中学生の頃にはかなり歌えるようになっていたそうだ。しかし、当時は民謡大会がなく舞台で歌う機会は少なかった。公式デビューは、1987(昭和62)年の地元民謡大会。その後、第9回奄美民謡大賞の新人賞、第12回日本民謡大賞鹿児島県大会壮年の部1位を経て、1989(平成元)年度の第12回日本民謡大賞全国大会で日本民謡大賞を受賞し、文字通り奄美唄者のトップスターとなったのである。主婦で大島紬織りの職人でもある。2005(平成17)年の愛地球博では、島唄、八月踊りを紹介するなど奄美のPR役の大任を果たした。8年前から笠利町中央公民館で島唄教室を開講し、島唄の伝承活動にも力を入れている。

公式ホームページには彼女の素晴らしいメッセージが掲示されている。


ライブの聴衆3組の熟年夫妻。一杯入ってゴキゲン。
Kさん夫婦は角度が悪く写せなかった
「昔から奄美の多くの女性は、紬織りや畑仕事をして生活をしてきましたが、私も若い頃から紬を織って生活をし、子供たちも育ててきました。長い年月の間には、寂しいときや仕事がきつく感ずる時があります。そんな時、好きな島唄を聴いたり歌ったりして、気慰めとしてきました。そのように、島唄は日常生活の中から出てくる歌であり“奄美の心”ではないかと思います。これからも大好きな島唄を勉強し、こよなく愛謡していきたいと思います」

当原さんは、美しい方だった。着物姿が実にシャンとしていて、私たちは思わず唄を聴く前にその姿と美貌にうっとりしてしまった。唄の見事さはいうまでもない。島唄独特の裏声を駆使して音域は広く滑らかで表現が深い。時に物悲しく、時に恋に焦がれ、時に豊作を祈り、感謝する。私たち5組の夫婦と菅谷さんの11人、同宿客なのか女性が3人、男性が1人、そしてホテル関係者が2人、以上合計17人は大いに感動し、大いに酔った(もちろん唄と彼女に)。
私たちがどれほど立派な聴衆であったかの一例をご報告しよう。休憩の時に、Kさんが当原さん自身に了解をもらった上で、ホテルの係員にPAを切ってもらった。カラオケの習慣からか、日本では比較的狭くて、生の声でも十分鑑賞できるのに、PAを使いたがるところが多い。しかも、エコーたっぷりで。下手な素人のカラオケなら我慢するが、今夜は最高の唄者、当原ミツヨさんのライブなのだ。彼女の声の美しさ、唄の味わい深さは、この部屋なら生のほうがずっといいのだ。Kさんは音楽にまったく関係のない職業の方だが、私の思いとまったく同じで、よく勇気を出していってくれた。もちろん、聴衆全員が賛成したのだ。
休憩後の第2部は、いっそう盛り上がった。スピーカーからではなく、当原さんの口と全身から流れ出してくる唄を、私たちは自分の耳と体でダイレクトに受け取る。その唄は実に生々しく艶かしい。そして、最後は当然全員立ち上がって踊った。当原さんの踊る姿もまた感動的だった。私は発見した。島の踊りの“手”は阿波踊りと同じで顔の位置、およびその上で動かすのだが、時々その手を下に下ろす。その下ろし方が、私たちと当原さんではまったく違うのだ。下ろしながら首をやや傾ける、その動きが実に色っぽいのである。
楽しいことには、残念ながら“終わり”がある。この夜のライブにもやはり“終わり”がやってきた。私たちの盛大な拍手を当原さんは、美しい顔をわずかに緩めて受け止め、凛々しさを失わない姿のまま、去っていった。

■当原ミツヨさんを知るなら: 当原ミツヨの世界へ イモーレ!!

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リゾートホテル「コーラルパームス」
   〒894-0501 鹿児島県奄美市笠利町宇宿2520 電話:0997-63-8111
東京のWebデザイナーYKさんから、奄美大島出身の歌手について投稿がありましたので
掲載します。本欄ではみなさんの投稿もお待ちしております。
元(はじめ) ちとせだけじゃない、
奄美出身の注目ミュージシャン、中 孝介(あたり こうすけ)

「日蓮聖人入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝える東京大田区の池上本門寺で、 7月22、23日に「Slow Music Slow LIVE'06」というコンサートイベントが行なわれました。私は日曜日の23日に行ったのですが、奄美大島出身のミュージシャン中 孝介(あたりこうすけ)が出演しました。 “Ruby Evening”と銘打ったミュージシャンは他に、べべチオ、MONDAY満ちる、アン・サリー、ゴンチチ、吉田美奈子&河合代介 DUO feat.渡辺香津美。
本門寺正面の仁王門から向かって右手にある五重塔を少し下ったところにある、PAや照明施設もしっかりある常設の広いスペースが会場でした。ステージから見ると丁度正面に五重塔が見え、ミュージシャンたちは夕闇せまる森にライトアップされた五重塔と向き合い、せせらぎのような蝉の声を聞きながら、ゆったりとした気分で演奏できるようです。聴いている我々もとてもリラックスできる素晴らしい空間でした。少し蒸し暑く雨が降りそうだったけれど、幸い最後まで霧雨程度ですみました。
副題に「3回目を迎える、夏の大人のための野外イベント」とあるように、単なるコンサートというより、オーガニック野菜の販売やお酒も愉しめる、とてもリラックスした空間を演出していました。まず本門寺副住職さんからの呼び掛けで長崎集中豪雨で被害に遭われたり亡くなられた方々への黙祷を行いました。それから「この瞬間(とき)に感謝しよう、思いやりの気持ちを広めてこの殺伐とした時代を少しでも良くしていきましょう」という話があり、お寺でイベントをやる意義や活動というのは、こういうことなんだなぁと感心しました。
中孝介はオープニングアクトとして最初に登場しました。元ちとせと同じ奄美大島出身という程度しか知らず、3月デビューということもあって、知っている曲は2曲だけでした(J-WAVEジャムザワールドのエンディング曲なっています)。彼は白いシャツにパンツ、短い髪型、まるでスタッフかと思うような地味なイデタチで登場し、グランドピアノだけの伴奏で唐突に歌い始めました。
目を閉じて片手にマイク、片手でリズムをとるような(平井堅のような感じ)祈るようなしぐさで歌い、紡ぎ出されるメロディーは、シンプルゆえに力強く、やさしく、味わい深い、とても印象的なものでした。こういうのを“癒し”といっては少し失礼なのかなとも思いましたが、飾らない純真な魂、大自然、南の海を連想させ、何かが心の琴線に触れる本物のボーカリストだなあと感じました。
中 孝介ブログ「島ぬ宝」に、この日のコンサートについてのコメントが掲載されています。
 そして1曲歌い終わると、いま歌った曲について語り始めました。その語り声は26歳とは思えない落ち着いたもので、彼の飾らない人柄とブレの無い芯の通った生き方を表しているようでした。都会の虚勢、忙しさ、エゴイスティックな部分、これらすべてを排除していこうという彼の強い意志を感じました。こういうミュージシャンがもっと自由に活躍できる土壌が出来てくると本当に素晴らしいのですが、これはリスナーである我々が支えていく問題でもあると思います。
彼の歌を聴いていると、私も奄美大島にいつか行って見たい(できれば住んでみたい)と思ってしまいました。奄美大島に“なつかしゃ”という言葉があって、標準語の“懐かしい”とはちょっと違う感覚で、人を愛しく思ったり、故郷や家族を思って郷愁にかられたり、何かが心に触れた瞬間に“なつかしゃ”という言葉が出てくるそうですが、奄美大島の人と“なつかしゃ”を共有できたら本当に素晴らしいだろうなぁと感じました。
(WebデザイナーYK)
中 孝介 公式サイト
奄美大島マップ
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