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ゆっくりと島巡り 案内人 船木文宏

奄美大島(4)(2006年6月21日) text&photo Fumihiro Funaki

古仁屋港、大島海峡、加計呂麻島、半潜水式水中観光船

古仁屋港、大島海峡、加計呂麻島、そして……

古仁屋港は船の出入りを眺め、海を見つめ、あるいは周りの山々と対岸の加計呂麻島を見ているうちに、どんどん時間が過ぎていくようなところだ。バスを降りて慌しく船に乗らず少しのんびりしたい気がした。自然は実に美しい形を作るものだ、と思う。どうすればこのように入り組んだ地形ができるのだろう? そして、どうしてこんな美しい場所を与えられた人間が、いつまでも争い殺し合うのか?
時間をふと61年前の夏、8月に戻してみると、古仁屋対岸の加計呂麻島、呑ノ浦(どんのうら)の海岸には、懐剣を帯びた若い娘が青い顔して佇んでいる。少し離れた小高い岩の上には、凛々しい海軍の軍服に身を固めた男がじっと海を見つめている。その男の率いる小隊の兵士たちは、もう3日前から命令があり出撃の準備を済ませている。お国のための死を覚悟して、今や遅しと出撃の号令を待ち続けているのだ。娘は思う、
「放したくない、放したくない。御国の為でも、天皇陛下の御為でも、この人を失いたくない」(※)
しかし、結局隊には出撃の命令は出なかった。奇妙な静穏の中で終戦を迎えるのだ。人間魚雷として絶対に生きて帰ることの出来ない出撃を覚悟した人間たちが、明確な説明もなく放置され、結果として死を免れる。それは果たして幸運なことであったのだろうか? 為政者が敗戦のタイミングを失った結果、死ななくて済んだはずの多くの命が失われたが、一方で、覚悟した名誉の死を、訳も知らされずに免れた者もあるのだ。 死んだ者の悲しさ悔しさに胸が締め付けられる思いがすると同時に、死を逃れた者の精神の地獄も思わずにはいられない。銃殺刑の執行で目隠しをして立たされ、不可避の死を覚悟し、まさに引き金が引かれる寸前に、特赦がおりて、命を救われた囚人たちの何人かが、発狂に追い込まれたという話は、ドストエフスキーの「死の家の記録」のエピソード

であったろうか。そんなことを思いながら見る大島海峡の海は、あくまでも美しく、行き交う海上タクシーや定期航路の客船、そしてこれから間もなく乗り込む「半潜水式水中観光船」の動きも軽やかで、限りない平和の中で生命の躍動を感じさせる。


(※)この部分は島尾敏雄の妻、ミホの作品「その夜」にあるが、
原書は絶版で入手できないので、神谷裕司著「奄美もっと知りたい」
(南方新社2004年発行3刷版)によった。

文字どおり海を縦横に走る、海上タクシー。貸切で観光船にも、釣り船にも変身するそうだ
 港の一角に黒い石に白文字を刻んだ記念碑が目に入った。ご存じ、映画「男はつらいよ」の最終話(第48話)「寅次郎紅の花」はこの奄美大島、そして対岸の加計呂麻島で撮影されたのである。「ロケ記念地 古仁屋」とあって以下の文字が並んでいた。
寅さん第48作ロケの記念碑


買い物帰りのリリー(浅丘ルリ子)が
海上タクシーの船に乗り込み旅先の
満男(吉岡秀隆)に出会う

船長、リリーと世間話しをかわしながら
しきりに船尾を気にしている。
リリー「どうしたの?」
船長「あそこにおる若者が気になっての。
まさか自殺したりせんとは思うが」
リリー、船長の指差す方角に目をやる。
船尾のベンチにポツンと腰をおろし
重い表情で海を見つめているその
青年は寅さんの甥の満男である。


思い出しますねえ。この撮影は1995年11月、加計呂麻島の諸鈍(しょどん)の海岸で行なわれた。寅さんの愛するリリーさんは、古仁屋で買い物をした帰りだったのだろう。諸鈍にはリリーさんの家として使われた建物も残されている。ロケに先立って瀬戸内町内のホテルで記者会見があり、その当時朝日新聞の記者として取材した神谷裕司さん(前出)は、11月10日付で以下の記事を書いた。

…前略…八日に奄美入りした渥美は「南国に来たという感じ。海も空もきれいだが、寅みたいな男はもう少しゴミっぽい所が似合う。『いいなあ』と言いながらも飽きて長くはいられない」と感想を話し、寅さんさながらに笑いを誘った。…後略…

その渥美さんも、撮影の翌年、1996年8月に亡くなった。
「いろいろ思い出すね。95年の11月といえば、私はアウシュヴィッツに近いカドヴィッツという、ポーランド第2の町と、ザルツブルクで3週間録音をしていた。そして翌96年8月は、プラハ、ウィーン、ザルツブルクで録音と撮影をしていて、その途中で渥美さんが亡くなったと君に知らされたんだったね」
「そうですね。もう10年になるのね。今度この島に来たのが、何か因縁めいて思えるわね」
「寅さんとリリーさん、こんな島だったら仲良く暮らせたんじゃないのかなあ」
「さあ、どうでしょう。私はやっぱり二人は離れて別々に思い合ってるのがいいと思うけど」



半潜水式水中観光船で大島海峡水中のサンゴと魚を見る

穏やかな古仁屋港。胴体に赤と青の鯨が描かれているのが、半潜水式水中観測船「ニューせと」
  「半潜水式水中観光船」は、甲板下の船室の舷側がガラス張り(硬質プラスティック)になっていて、水中が見られるようになっている便利な船だ。古仁屋港には胴体に赤と青の鯨を描いた2隻あって、1日7便運航している。所要時間およそ1時間弱。

大島海峡の海は奄美大島側も加計呂麻島側も、複雑に入り組んだリアス式の海岸で、かなり幅が狭いから、大きな川か湖のように穏やかだ。台風がくれば激しく波立つのは当然だが、今日の海面を見ていると、そんなことは永遠に起こらないと思えるほど穏やかだ。20分ほど快適に進むと、最適スポットに到着したというアナウンスがあった。

近くで見る半潜水式水中観測船
「ニューせと」

甲板で海を眺めていた乗客が、静かに下に下りる。席は指定されているので急ぐ必要はないのだ。ガラスに顔をつけるようにして覗き込むと、いろいろな形のサンゴが視界に入ってくる。やがて色鮮やかな魚たちも見えてくる。神経を集中して一心に見ていると、海底を泳いでいるような錯覚に陥るほどではないが、かなり海との一体感が得られる。

しかし、問題が一つ発生した。どう工夫しても、見た目の感じに写真が撮れないのである。プレビューする液晶画面はどれも一様に青黄色っぽくて暗い。サンゴの色も魚の色もグレーっぽく沈んでいる。カメラに付属の小さなストロボの光は、ガラスと海水を通過するには貧弱過ぎるのだろう。ストロボなしでは、肉眼で見ればかなりの明るさがあるが、本物に近いイメージの写真を撮るには光量が足りない。悪戦苦闘の末、ついに諦めて部屋を出た。


  
大島海峡を進む。両岸はリアス式の複雑な海岸。漁師が一人寂しく漁をしていた

閑散としたデッキに小学四年生前後に見える女の子が一人いた。舷側の鉄柵に足をかけて鉄棒をするような格好をしている。穏やかな海で、船もほとんど静止しているから、それほどの危険はないが、でも体が小さいだけに心配だ。危険人物と思われずに注意するにはどうしたらいいかと考えたが、いい知恵も浮かばないので普通に話しかけた。

「危ないよ。手が滑ったらこの鉄棒の間から海に落ちちゃうかもしれない」
「大丈夫だもん。こんなの慣れてるから」
「あ、そう。泳ぎ得意なの?」
「違うよ、鉄棒が得意なんだ。泳ぐのはプールならいいけど、海は嫌い」
「どうして? 海のほうが大きくてきれいじゃない。ほら、ここなんか下のサンゴが見えるぐらい透明だ」
「プールのほうが好きだもん。海は水が動いてるから嫌いなの」
なんとか危険人物には思われなかったようだが、会話はすれ違ってしまう。どうやら女性はこのぐらいの年齢から、男とは異質の生物に育っていくようだ。

ガラス越しに撮るのはこれが精一杯だった海中のサンゴと魚。申し訳ありません

 下から妻が出てきていう。
「写真、うまく撮れないんですか?それとも船酔い?」
「酔いませんよ、このぐらいで。ただ、ファインダーを
ずっと覗いてたら頭が痛くなってきたから、写真はやめた。いいレンズが欲しいなあ」
「レンズのせいなの?」
「それだけじゃないけど、レンズもいいのが欲しい」
同じスポットを船の上から見ると実に美しい

超美味のかりんとう。これはお勧め。空の袋で恐縮
「港に戻ったら買い物する時間あるかしら?」
「買い物? 何を買うの、ここで?」
「かりんとう。黒糖のかりんとう。船に乗る前にガイドの上原さんに聞いたの。ここのかりんとうは、ここでしか手に入らないんだけど、とっても美味しいんですって」
「ああ、そうですか。ところで、サンゴと魚はどうだったの?」
「結構よく見えたけど、特別なことは感じなかったわね。まあ、こんなものかな、って感じ。ほら、数年前に佐渡島の尖閣湾で乗ったでしょ、船に。底から海を覗き込んだじゃない。あの時は感激したわね。最初だったせいかすごくよかった」
やはり女性とのスムーズな会話は難しい。小学校の国語教育の問題とは違った次元の問題がありそうだ。

 船はゆるりと動き出し、古仁屋港に戻った。小林夫妻ほか、4組のメンバーも明るい顔をしている。それぞれの胸の中ではきっと別なことを考えているのだろうが。港では、上原さんと菅谷さんが笑顔で迎えてくれた。
「どうでした? 楽しめましたか?」 
男性軍はみな紳士だから、楽しめたことをそれぞれの流儀で伝えようと努力した。そしてわが妻は、上原さんにお店を聞いて、急ぎ足で駄菓子屋に向かった。その話を聞いたほかのご夫人たちも駄菓子屋へといそいだ。男性軍がバスに着席して待つこと数分、女性軍はかりんとうと、そのほかの収穫物を手に悠然と戻ってきた。
ところで私メも、かりんとうには目が無い。なにしろ子供のころの甘いものといえば、かりんとうぐらいしかなかった時代の育ちですから。袋には「奄美大島黒糖使用、田原製菓の手造り、黒糖かりんとう(※2)
加計呂麻島時代を書いた作品を収録した島尾敏雄の文庫本「その夏の今は 夢の中での日常」。今でも入手可能(講談社文芸文庫)
とある。色は明るい茶色で細い。鉛筆ぐらいの太さで、長さは3.5センチほど。ちょいと端を切って1本を口に入れて噛んだら、……、これが実にウマイのであります。でかした、カミさん、これはイケルる。にっこり微笑んで妻の方を見ると、
「少し疲れたわね。次は昼食よね、今日は何がいただけるのかしら」
男女の会話は、かく難しいのであります。

(※2)田原製菓 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋松江12-8 電話/FAX 09977-2-0654 (注文すれば買えるはずです)

奄美大島マップ
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