写真を撮る際の考え方として先生は「見る人に感動を伝える写真を撮れ」と何回も教えてくださった。写真をコミュニケーションツールと考え、写真に語らせるように撮れ、ということだったように思う。撮る人と見る人の関係を強く意識しなさいという教えは納得のいく言葉で、以後、私が撮る写真はそうしてきたつもりだ。「きれい」から「きれい+共感」を伝える写真にしようとしてきたのだった。
だが、心象風景といわれる写真ではどうだろうか。カメラ雑誌などの投稿には「心象風景」と題した写真が多いことは知っていた。自分の心をさらけ出すようで、なんだか気恥ずかしいタイトルだなと感じていた。しかし、私の写真がそう評価されたとなると「心象風景」という言葉から逃げずに、立ち向かわなくてはいけないだろう。
心象風景と分類される写真には、「撮る人と見る人」という関係以前に「被写体と撮る人」という関係がある。自分の想いを被写体に託して撮るわけだから、そこには被写体と撮る人との対話があるはずだ。それを意識していなくても、なにか感じていたはずだ。被写体に仮託して心情を伝える撮り方は、被写体との関係を深く意識しないと独りよがりの写真になってしまう。
これまで考えていた「撮る人と見る人の関係」以前に、被写体との対話が先にあって、被写体が訴えていること、撮る人が被写体のどこに共感しているかを確認すること。それが“被写体を深く見る眼”ということなのだろう。 |