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写真で綴る自分史 もういちどカメラ 藤森元之

押しかけ写真塾  
藤森元之
写真塾中級編 写真はむずかしいが、楽しいぞ! 第5回―AEを使いこなす―
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撮影は奥多摩鳩の巣渓谷へ
   写真を撮るという行為は、ねらった対象に「ちょっといいじゃないか」と心を揺さぶられるからだろう。「ちょっといいじゃないか」とは、それを美しいと感じたり、めずらしいと感じたり、懐かしかったり、おどろいたりするからだ。その体験を誰かに伝えたいと思う。それが写真を撮る原動力になる。
  ほんとうは「とてもいい」とか「感動した」というところまで行き着いた体験や見るという行為が望ましいのだが、残念ながらボクの写真はまだそこまで達していないと思う。その理由は、自分と被写体との一体感がまだ得られていないと感じているからだ。本当に感動しているわけでもないのに、どこかで見た写真だとか、こんな写真でいいんじゃないかとか、適当に妥協して、撮っているからだ。
 写真の出来ばえはさておき、それでも何かを伝えたいから写真を撮るわけで、伝えるためにはどう表現するか、それは構図なのか、光か、タイミングなのか、それを明確にして、その情報を盛り込まなくちゃいけない。それがないから写真があいまいになってくるのだ。

 3ヵ月ばかり夢中で写真を撮ってきて、このごろ、「ボクが撮った写真は、いったい何を見て、何を誰に見せようとしているのか」を考えるようになった。
  何を「見て」、何を「見せるか」、と詰めていけば、撮る写真も変わるにちがいない。
写真を撮って何を伝えるか、そのためにどう表現するか、それは構図なのか、光か? そうやって自分へ問いかけてみるが、どうもそれ以前に、問題がありそうだ。
「『見える』から『見る』へと進化してください」
ようやく快方に向かった古屋大先生がこんなヒントをくださった。この辺がキーポイントになりそうだ。問題の所在は分かった。だが答が簡単に出せるわけでもないので、問題解決はゆっくりすることにする。それがボンビバン世代の特権だ。

 今回のテーマは自動露出(AE)、これをを使いこなす方法を伝授してもらおうという魂胆。だが、じつをいうと、前回あたりから講座に対して我が身が消化不良になっている。
 ピントをきびしく詰めていくと情報量が増えることが分かった。露出を正確に設定できるとやはり情報量が増えるのも分かった。被写界深度なんていう課題は、情報の取捨選択、強調と省略と考えると分かりやすい。だが、考えることが多すぎる。ここ2、3回は写真撮影に迷っているような気がする。
 毎回忙しく写真塾のテーマを設定してきたが、頭では分かっても知識と技術が連動しないため、ろくな写真しか撮れない気がしている。まあ、達人のワザはそう簡単に身につくわけがないか。それでも、がんばってみようと身を奮い立たせる。
クローズアップでピントの注意点を知る
 

「先生、今日のテーマは何でしょうか」
「前回までは評価測光で撮りましたが、AEを正確に理解するために、今日は撮りたいものの正確な露出をセットしてみるという意味で、部分測光で撮ってみましょう。ねらいがはっきりすることと、周辺の明るさや暗さに影響されない写真が撮れます」
「評価測光が一番失敗しない測光だと理解していましたが、そうではないのですか?」
「評価測光は失敗しないという意味ではすぐれた測光方式ですが、カメラが判断する対象が撮りたいものとは限らないので、その場合、露出が正確に測られているとは限らないのです」
「なるほど! カメラがここに露出を合わせればいいんですねといっても、撮り手のねらいを理解していないことがあるわけですね」
「そうです。ですから、まず撮りたいものの正確な測光をして、そこでAEロックして撮るようにする。これをやってみるのです」
「評価測光と部分測光がそれほど違うとは思えませんが、やってみましょう……。撮っているうちにわかるかもしれなし……」

 ということで、今回の撮影地は等々力渓谷〜多摩川〜岡本民家園。
 等々力渓谷は、都会の真ん中にこんな自然の造作が残っていたのかとおどろくばかりだ。渓谷へ降りていくと、そこはもうマイナスイオンの充満した世界。等々力の駅から2〜3分の至近距離だが、深山幽谷の趣をたたえた遊歩道という不思議な空間で、東京・世田谷区の行き届いた管理が感じられる。先生は引き続き古屋洋一郎若先生。


f5.6 1/40秒
コメント
岩肌と川面に光が射していた。かなり暗いがISO400で撮れた
講評
岩肌に差し込む木漏れ日が美しく、渓谷のしっとりした雰囲気がよく捉えられています。AEだと明るくなりそうな条件ですが、控えめな露出で幽玄さが生まれました。
 
f3.5 1/40秒 f3.5 1/20秒
コメント
子供から老人まで、散歩する人がとにかく多い。歩道もよく整備されている。開放に近い条件化では被写界深度を考えるべき絵だが、取っているときはピント合わせに夢中で、そこまで気が回らなかった
講評
共に遊歩道に人物を配した作品ですが、構図、ピント、それに露出と、バランスの取れた仕上がりです。親子の写真は、タテ画にしたことで川と遊歩道の高低差、それに木々の高さが広がりをもって表現できています。ヨコ画の写真は、ローアングルの面白さとピントを手前のウッドデッキにしたことで、主題が遊歩道だということが明確になっています。

f5.6 1/50秒
コメント
赤い橋が印象的だったので、渓谷の中のワンポイントとして構成してみました。
 
f5.6 1/60秒
コメント
小動物は動くので、植物に比べて構図や露出のセット時間が短くなる。あまり動かないカタツムリを撮ったが粗雑な写真。先生の写真はカタツムリとセミの脱殻、青葉と枯枝という2組の生と死の対照が際立っている
講評
かなりのクローズアップですが、手ブレやピンボケを押さえて、うまく写しています。
f4 1/30秒
コメント
近くにセミの脱殻があったので、カタツムリと一緒に画面に入れてみました。

f4 1/40秒
コメント
等々力不動の滝つぼの脇に立つ観音像。奥の石仏をボカすのに集中した
講評
山深くにひっそりたたずむ観音像といったところでしょうか? 左奥にもう一体の石仏をボカして入れたことで、遠近感のあるとてもいい写真になりました。
 
f3.5 1/400秒 f3.5 1/400秒
コメント
柔らかな光が降りそそぐ渓流沿いの歩道を、歩く人を配置して撮った。評価測光は刻々と露出が変わるが、部分測光はその点ねらいどおりの露出を示す。しかし、絞り優先f3.5で開放、1/400秒とはなんということだ。せめてf8くらいまで絞れば深度が稼げただろうに
講評
この2枚は、最初は人物の露出で考えて、右がよいと判断したのですが、構図的には左が優れていると思います。少しだけ露出が控えられると、人物のディテールがもう少し出てきますが、こういう瞬間は二度と撮れるとは限りません。そういう意味では、よいタイミングで撮れたというべきでしょう。
 
f4 1/100秒
コメント
お不動様の社に供えられたお神酒と灯明。まだぬくもりが感じられた気がして撮った。露出は部分測光でそのまま
講評
少し構図が曖昧ですが、不思議な空気感があります。日陰の光がとてもやわらかく全体に回り込んでいて、ローキーな表現の中にも階調がしっかり残っています。
f4 1/8秒
コメント
見上げると大きな鈴が光っていた。その隣は錆びた鈴で、対比がおもしろい。部分測光はそのままで適正値
講評
これは色彩豊かな写真ですね。境内の石段から反射光で、鈴の金色の質感がきれいに撮れています。
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