レフィーノ&アネーロの金子さんは、クレルについて、次のようなメッセージを寄せてくれた。
![]() |
| 悪魔に魅入られた感じの金子さんと 「Evolution」 |
KRELLは、アメリカで最大のハイエンド・オーディオブランドです。といっても大企業のような大きな会社ではなく、100人に満たない人数で運営されている技術集団のようです。1980年1月、ラスベガスのCES(コンシューマーズ・エレクトロニクス・ショー)に出品してデビューを飾ったのですが、その時出品した製品「KSA-100」は、創立者ダン・ダゴスティーノと、現在クレルの社長をしている夫人ロンディーのたった二人で組み上げたものだったといいます。
「KSA-100」は、あらゆる条件での完全な純A級動作を目指して作られたアンプでした。スピーカーは、その駆動状態に応じて負荷が変動することはご存じのとおりです。普通、理論値では8Ωの負荷がかかっているときに100Wの出力を得ることができるアンプならば、4Ω負荷となった場合は倍の200Wの力が出せることが理想です。このように負荷に応じて大きな出力が得られるアンプを「リニアリティが高い」といっています。
クレルの最初の製品「KSA-100」は、まさにこの理想を達成したアンプで、純A級回路動作で、2Ω負荷時に380Wを引き出せる能力があり、当時非常に話題となりました。
![]() |
| プリアンプ「Evolution 202」 |
![]() |
| パワーアンプ「Evolution 600」 |
その後クレルの製品は一貫して、どんなスピーカーもその性能を十二分に引き出して駆動できるパワーを追求しています。1990年代になって発表された「KAS(クレルオーディオスタンダード)」というアンプは、なんと1Ω負荷で3,040Wの出力が得られるというものでした。
当時のダン・ダゴスティーノ家のリスニングルームの写真を見せてもらったことがありますが、当時入力インピーダンスが低くて鳴らしにくいスピーカーの代表的なモデルであったアポジーの、高さ2mはあろうかという一番大きなスピーカーを、片チャンネル2台、合計4台を使って鳴らしていました。KASは出力およびレギュレータートランジスターを片チャンネルあたり60個も使って、巨大なヒートシンクをもち、電源部とアンプ部がセパレートになっていて、相互を分厚いバスバーで連結するというものでした。「超弩級」という言葉はクレルのためにあるんだな、と心底思ったものです。
![]() |
| CD/SACDプレーヤー「Evolution 505」 |
クレルというブランド名は、そもそも1958年に製作されたMGMの映画『禁断の惑星』の舞台になった惑星アルタイアに存在した太古の超古代文明の名前だそうで、そこでは人は思念ですべてのものを自由に制御できる無限のパワーを持っていたそうです。この「無限のパワー」が、ダン・ダゴスティーノのアンプつくりのイメージとぴったり重なったというわけですね。
そんなクレルですが、アンプづくりの考え方は一貫していますが、音自体はその時代の流れにあわせていろいろと変わってきています。最新モデルは、広帯域で高密度な音楽再生に適したものへと変化しており、ステレオ再生だけでなく、マルチチャンネル化も視野に入れた作りになってきています。ここでご紹介するモノーラルアンプも、2台でステレオ仕様、6台あれば5.1ch仕様というようにグレードアップしていけるようになっています。
![]() |
| ウィルソンオーディオのスピーカー「MAXX2」 |
―さて現在、Evolutionと組み合わされているスピーカーは、Wilson Audioの「MAXX2」のスタンダードである。このスピーカーについては、本欄では2006年9月13日掲載の更新の「46
超弩級システム ウィルソンオーディオのMAXX2を聴く」で紹介した。そして、このメーカーの総帥、ディヴィット・ウィルソンもまた、悪魔に魂を売ったオーディオ人の一人である。彼とそのスピーカー作りの精神については、本欄「18
ウィルソンオーディオのスピーカー」をご覧ください。
「MAXX2」には、写真のスタンダードタイプのほかに、オプショナル、カスタムという2タイプも用意されているが、設置する家庭にウィルソン自身が行ってセッティング、チューニングを行なうというのが彼の基本方針だという。オーディオもここまでくれば、家を建てるのとほぼ同じレベルの行為となるのだ。
いつの日か、こういうシステムを自宅に置ける時がくるのだろうか、なんて考えないことである。法然はいった、ただひたすら念仏を唱えることによって、極楽往生はかなう、と。私たちも、ただひたすら……。
何はともあれ、ぜひレフィーノ&アネーロにお出かけください。そして、じっくりとこの組み合わせの音を聴いてください。たとえ、あこがれを知る人、となって、悩みが深まろうとも。至福は悩みの果てにあると信じましょう。





