おとなのたまり場 > もういちどBE-PAL > 堀田貴之のおとなのずる休み
連載 おとなのずる休み
バックナンバー プロフィール
第五十ニ話 12月20日更新
1 2
晩秋の熊野古道を訪れてみた 地球上でただひとつの世界遺産の川を行く
<1>
まずは、那智大社を目指してみる

紀伊半島の南端に住む人たちは、北に連なる山々を、『果てなし山脈』と呼ぶ。たしかに、南の端から北を望むと、関西平野や奈良盆地まで、紀伊半島には山脈が果てしなくつづいているのだ。
そしてその山々のなかに、古い古い道がある。
熊野古道と呼ばれる道だ。
2004年7月、紀伊山地の霊場と参詣道は世界遺産として登録された。この古い道を、ユネスコが、「ここには普遍的な価値がある」とはんこを押したのだ。

熊野古道は、熊野川下流域にある熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)を目指した信仰の道だ。
熊野は古くから神々の住む聖地、あるいは死霊の集まる再生の地として崇められてきた。厳しい道を乗り越えて、大自然の中にある再生の地・熊野へ詣でることで、来世の幸せを神々に託すという信仰が生まれたのだ。
熊野三山を目指す道は、大きくわけて三つ。伊勢路と紀伊路と大峰山越えと。
伊勢から海岸沿いに続く伊勢路は、伊勢信仰と結びついて、比較的早くから開かれた道である。
また、紀伊路は、ふたつにわかれる。大阪から海岸を南下し、そこでさらに海岸沿い進む大辺路と、途中から山へ入る中辺路と。
そして、紀伊半島の中央を、京都、奈良から吉野を経て、まっすぐに南下する山越えルートが、大峰山越えである。山岳中央部を突破する、もっとも険しい行路だ。
昔の人たちは、神々の魂が宿るこれらの道のりを徒歩で進んだ。歩くこと自体が修行であり、その歩みのひとつひとつが神仏の加護に近づく一歩であったのだろう。そして、これらのルートは、いつしか道として踏み固められていったのだ。

これらの道のりをかいつまんで歩いてみよう、と熊野へとやってきたのだ。
もちろん、3日や4日の滞在では、熊野古道の真の姿を見て歩くことなどとてもできない。昔の人々が、なぜ熊野を目指したのかを知ることもできない。
それに、神々の土地、巡幸の道といわれても、信仰心も修行心も向上心(これは違うか)もない僕には、ぴんとこない話ばかりである。
でも、当時の面影を残している景色のなかを歩くことで、のんびりできればいいかな、とやってきたのだ。なんたって、ここは日本の原風景が残っている場所なのだから。
まずは、大門坂を登り、熊野那智大社へ。
信仰とは無縁の男だが、「馬にて参れば苦行ならず」などとつぶやきながら、古道の一部を歩いてみたのだ。

那智大社へと向かう大門坂を歩く。苔むした石段だったが、訪れる人の多さから苔が少なくなってしまった、という
那智大社へと向かう大門坂を歩く。苔むした石段だったが、訪れる人の多さから苔が少なくなってしまった、という
那智山には60以上も滝があり、そのうちの48の滝が修行の行場とされている(那智四十八滝)。この一の滝は、那智の大滝と呼ばれている
那智山には60以上も滝があり、そのうちの48の滝が修行の行場とされている(那智四十八滝)。この一の滝は、那智の大滝と呼ばれている
山が深い、ということは水がおいしいということである
 

でも、ここへきてびっくりしたのは、その山深い景色でもなく、古い文化を感じさせる神々しい建物でもなく、苔むした道でもない。
『世界遺産』という文字の多さだった。
でっかい石碑、乱立している看板。さらにはおみやげ品や、交通安全標語などにも、いたるところに『世界遺産』という文字があるのだ。
世界中の世界遺産のなかでも、『世界遺産』という文字の多さはナンバーワンじゃないか、と思わせるほどだ。その多さが世界遺産に登録されてもいいんじゃないか、と思ってしまったほどなのだ。

各地に『世界遺産』と掘られたでっかい石碑がある。どれほどの予算を使ってこんなでっかい石碑を造ったのだ、と貧乏性の僕は心配になる。
そればかりか、『世界遺産を大切に』とか、『ここは世界遺産。ゴミを捨てないように』とか、『世界遺産ではアイドリングストップを』とか、そんなのばかりである。
世界遺産に登録される前の熊野古道は、熊野の参詣道に興味のある人だけが訪れる静かなところだったのに。当時は、訪れる人も少なく、ゴミもなく、エンジンをかけっぱなしで駐車する人もいなかった。
はずだ……。

 
紀伊は、日本でも有数の木の国でもある
山々が果てしなくどこまでつづいている
本宮近くには川湯温泉があり、河原には巨大露天風呂が。千人が入れるという風呂だが、名前は『仙人風呂』
 
 
次のページへ
ページトップへ

もういちどBE-PALトップへ