おとなのたまり場 > もういちどBE-PAL > 堀田貴之のずる休み日記
もういちどBE-PAL
おとなのずる休みずる休み達人マニュアル
堀田貴之のずる休み日記 「ずる休み」という言葉に、心をびっとふるわせた人。そうです。いつまでも少年の心を持ったおじさんたちは、今日もずる休みをたくらんでいます。半日あれば、半日。二日あれば、二日。一週間あるなら、一週間。一か月暇なら、……。堀田貴之が、今日もずる休みの旅に出かけます。
第十六話 6月21日更新
北信州の笹藪にタケノコを探し歩く これぞ究極の男の遊びか……
「雪が多すぎる」。
今年はどこへ行っても、答えはこれだ。
じゃいつになったら、と聞くと、「その答えは雪の下だ」などと哲学的なことをいう。
そんなわけで、6月はじめに長野県飯山を訪れたときは、もうすっかりあきらめていたのだった。
いや、人生に春が来ないことを、あきらめたのではない。タケノコである。

タケノコといっても、かぐや姫が生まれ出てきたあの太い竹ではなく、もっと細いやつ。ネマガリダケのタケノコのことである。正式名称は、チシマザサ。山陰の一部から北陸、中部山岳、北信州、東北、北海道など、主に日本海側に分布する。
雪の降る地域に生える笹である。そして、豪雪地帯ほど太いタケノコが顔を出す。
これが分布する地方では、タケノコといえばネマガリダケを指す。そして、絶対的自信を持って、孟宗竹や真竹のタケノコより、こっちがうまいという。
違いのわからない男である僕は、どっちも大好きだ。
今年は雪が多かった。おかげで、6月はじめには、雪にブナの新緑という風景を見ることができた
北信州では、ウツギ(タニウツギ)の花が咲くとタケノコが出る、といわれている ネマガリダケはその名のとおり、まっすぐに空へと向かっていない。根元が曲がっているのだ。雪の重みで茎が曲がってしまうのだろう。
おれだって、社会の重圧で性根が曲がってしまったのだよ、似たもの同士だよな、などと勝手に親近感を持っていたら、どうやらそれは違うみたいで、芽が出るときに、まず横に伸び、それから上をめざすらしい。それで曲がるらしい。根っからのひねくれたやつなのだ。
ますます親近感がわいてくるではないか。
というわけで、北信州の豪雪地帯へやってきたのだが、とにかく今年は雪が多すぎだという。6月はじめ、山にはまだまだ雪がある。
雪の多さに一度はあきらめたタケノコ採りだが、地元の山菜採り名人・石沢さんをつかまえた。石沢さんとは、3月に関田山脈をいっしょにスキーで歩き、滑った。そのとき、このあたりは、と雪の下を指さし、6月になったらタケノコの畑だよ、といっていたのだ。
石沢さんに、さっそくタケノコ情報をしつこく聞いてみる。が、うーん、そろそろ出ているようだけど……、となんだか歯切れが悪い。
さらにしつこく聞いてみると、どうやらタケノコ採りもアラブ諸国同様なかなかややこしいらしく、採取が禁止されている区域、入山自体を禁止している場所、さらには場所取りや縄張り争いなどなど、世知辛い話が多いのである。
タケノコ採りの場所をむやみに教えると、いろんな問題があるようなのだ。
「僕ならだいじょうぶです。なにを聞いても、どこへ行っても、どうせすぐに忘れてしまうから」と、いってみた。
すると石沢さんは、それもそうだね、じゃ行こうか、と腰を上げたのだった(ってことは、僕のことを、ほんとうにあほだと思っているのか……)。
というわけで、某山(ほんとうに忘れたわけじゃないよ……)の斜面に生えるネマガリダケの藪のなかへ入っていったのである。
端的にいってしまえば、タケノコ採りは藪こぎである。背よりも高いネマガリダケの笹藪に入り、はいつくばり、地面から顔を出しているタケノコを採っていくのだ。
と、書くと大変そうだが、実際、大変なのだ。
でも、その大変さは、まずはタケノコを見つけることにある。
石沢さんは、笹藪に入るなり、あった、お、あそこにも、とタケノコをつかんでは、ポキッと根元を折るのだ。僕には、どこにタケノコがあるのかわからない。
山菜採り名人、石沢さんについて笹藪へと入っていく
「身をかがめて、低い視線で探せば見つかるよ。ほら、そこに。2メートルほど前!」と、石沢さん。
「えっ?」と、はいつくばりながら、僕は進む。
「ほらほら、1メートル前!」
「えっ? えっ?」
「ほらすぐ前!」
「えっ? えっ? えっ?」
「あーあ、踏んでるよ」
大汗をかきながら、まじめに取り組んでいるのだが……。
枯れ葉の下から横に向かって芽を伸ばすタケノコである 石沢さんの仕草をよく見ていると、タケノコを見つけたらそこへ手を伸ばすのはもちろんだが、そのときには、目はもうその先の違うタケノコを探している。こうして効率よく、どんどん見つけていくのだ。プロの技である。
そこで僕もさっそくまねをする。
ようやく見つけたタケノコに目測で手を伸ばす。そして目は、新たなタケノコを求めてその先を見る。
すると、手を伸ばした先にタケノコはない。目測を誤ってしまったのだ。さらには、さっきまで見えていた手のすぐ近くにあるはずのタケノコがない。一度目を離すと、どこにあったのかがわからなくなってしまうのだ。
タケノコはまるで僕から逃げるかのように、枯れ葉のなかに隠れてしまうのだった。
しかし、そんなことを2時間もやっていると、やがて目が慣れてきたのか、枯れ草に埋もれるタケノコの細長い三角形がだんだんわかるようになってきた。すると人間とは単純な動物で、今度は、タケノコの細長い三角形だけしか目に入らないようになる。
そうなるとしめたもんで、この僕でさえ、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと見つけられるようになるのだった。
しかし、今度はタケノコの三角形しか目に入らないから、もしそこに1万円札が落ちていても気がつかず、でもその先のタケノコはすぐさま見つける、という状態になっているのである。きっと。
試しに石沢さんの前に1万円札をそっと置いてみようか、と思ったけど、そのときの僕は小銭しか持っていなかったので、その実験は実行できなかった。
タケノコを軽く起こすと、
ポキッと折れる。で、いただき
と、そうこうしているうちにも手持ちのバッグにずっしりとタケノコが溜まってくる。
タケノコ発見のコツがわかってきたし、藪のなかを進むのは大変だけど、なんだか宝探しみたいで、タケノコ採りがだんだんおもしろくなってきた。
いやあ、ずいぶん採れたなあ、おれもいつの間にやらタケノコ採りの名人だな、と体を起こして伸びをする。
ネマガリダケの笹藪は人間の背丈より高く、まわりはまったく見渡せない。
「あれ、どっちから来たんだっけ?」
斜面の傾きを眺め、もとのほうへ戻ろうとするが、方向感覚がまったく失われてしまっている。しかも、そのときの僕は、まったくの石沢さん頼りだったので、地図もコンパスも持っていない。
「石沢さーん!」
大声で呼ぶと、しばらくして斜面の上の方から、ここだよ、と石沢さんの声がした。
よかった、よかった。
山で採れなかったときは、道ばたの看板を探すことだ 冗談じゃなく、山菜採りでは遭難者が多く出る。しかも、このタケノコ採りでの遭難が一番多い、という。毎年のように死者も出ている。
石沢さんは、迷いやすい場所へ行くときには、その土地の状況にあわせて、たとえば、まず南北に長いビニールテープを張り、そのテープを頼りにまずは片側のタケノコを採り、という手順を踏む、といっていた。自分の位置を見失わないためにだ。
名人でさえ、慎重なのだ(いや、慎重だからこそ名人なのだ)。
僕ごときがひょいひょいと笹藪のなかに入っていったら、危なくてしようがない。
そんなこともあり、地元の人たちが入山禁止の看板を立ている山も多い。
さらには、場所によってはクマとの遭遇もある、という。
危険とおいしいことは、いつの世でも隣り合わせなんだよなあ。
そういえば、「男が夢中になるのは、遊びと危険だけだ」てなことをニーチェがいっていたけど、タケノコ採りには、それにプラス、おいしさも加わっているのだ。
ニーチェにも教えてやりたい男の遊びである。
※タケノコ料理は「ずる休み達人マニュアル」「キャンプ達人マニュアル」に紹介。
ずる休み達人マニュアル
ページトップへ
最新の日記へ戻る →
もういちどBE-PALトップへ