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もういちど海遊び
写真仲村忠明 南の海で、簡素に優雅に
プロフィール
仲村忠明(なかむらただあき)1950年、沖縄生まれ。
「沖縄カヤックセンター」のシーカヤックのツアーガイドとして、日常から抜け出す案内を生業としている。が、当の本人は、シーカヤックガイド業の日常から抜け出したがっている。ここ数年、帆かけサバニに入れ込んでパドルをウェーク(櫂)に持ち替え、新しい悩みを抱え込んでしまった。55歳にしてますます惑いを深める日々だ。聖人にはなれそうにないので、仙人をめざすことにした。
■「沖縄カヤックセンター」ホームページ
http://www.qajaqcentre.com/
002 南風が運ぶ出会いの旅
今年の7月はじめ、帆かけサバニでカーチベー(梅雨明けの強い南風のこと)をつかまえて、沖縄本島から奄美諸島へでかけた。2艘のサバニに、8人が乗り込んでの旅だ。

どこの島でも、到着すると、年老いた漁師たちが集まってくる。
帆かけサバニが、懐かしいのだろう。

じっと目を凝らしてサバニを見つめる老人や、舟を撫でている者もみな遠い昔を思い出している様子で、すぐにサバニ談議が始まる。
与論島の大兼久(おおかねく)の浜では、老人が話しかけてきた。

島へ到着すると、人が集まってくる
おじぃやおばぁばかりか、子どもたちも 戦後、アメリカが南西諸島を統治していた時代、与論島からは黒砂糖を積み、沖縄からはアメリカの物資を積んで季節風に乗って密貿易をしたという。そんなことを自慢げに話した。そのサバニは2人で操って飛ぶように波間を走ったそうだ。
あげくに、その老人はおおらかに笑いながら「サバニをひとつ置いていけ」と、いいだす始末だ。

沖永良部島では、笠石海岸の旧友を訪ねた。毎度のことだが生ビールをたらふくご馳走になり、幸せな気分で島を後にした。
圧巻は徳之島の面縄(おもなわ)港での出来事だ。ちょうど昼飯時に上陸すると、港には面縄中学校と書かれた運動会テントが張られている。なにやら宴会をしている様子で、大勢の人が珍しそうにこちらを眺めている。

すぐに若い女性教師がやってきて、中学校の磯遊び会をやっているので、捕れたての獲物のバーベキューを食べに来てくださいと、招待された。
アバサー(ハリセンボン)の塩焼きに、エーグヮー(アイゴ)やイラブチャー(ブダイ)のから揚げ、それに夜光貝の刺身が食い放題。おまけに冷えたビールやおにぎりまでついている。なんというタイミングなのだろう。みな信じられない気持ちでご馳走になった。

満腹になったころあいをみて、校長先生からひとこと「一宿一飯の恩義という言葉があります。よろしければ明日の朝8時に学校に来てください。

面縄中学では、朝礼でサバニ旅の訓示(?)を
そして朝礼でサバニ旅の話をしてください」と、いわれた。散々飲み食いをした我々は、謹んで受けることにした。
磯遊び会が終わって、港の裏の浜にキャンプを決めた。夕食の支度をしていると、先ほどの磯遊び会の父兄がビールや焼酎を下げてやってきた。
「さあ、これからは交流会だ。」
と、本格的な酒宴になってしまった。

よく朝、サバニの周りに島の漁師が集まって、さっそくサバニ談議が始まった。35年前までは、糸満からきた島袋という名の漁師がこの近くでサバニを造っていたという。その漁師は独り暮らしの生活で、寂しい最期だったそうだ。糸満からきた漁師が死んで、面縄のサバニ文化は途絶えたという。
つぎの日から、南西の風が強くなって波浪注意報がでた。この先は天気がしばらく崩れそうなので、今回の旅はここ徳之島で終了しよう。
しかし、旅の心はまだまだ先へ向かったままだ。
次は、もう少し遠くへいこうかな。

バックナンバー
001 海風に漂うサバニ (2005年11月1日)
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