「寒くなってきたから、焚き火をしに行こう」。
伊東孝志画伯と僕は、紅葉の森へと出かけたのだ。
焚き火をするためにキャンプに出かける、という週末があってもいい。秋の夜長を焚き火の前でゆるりと過ごす、という時間はいいものである。
そもそも、現代の暮らしでは生活のなかで自然の炎を眺める、なんてことはない。炎を見るにしても、軍隊のようなガスレンジの一列縦隊の冷たい炎である。
だからこそ、焚き火の温もりが必要なのだ。自然の火は、熱いとか煙たいとか明るいなどなど、ぼくたちの五感を刺激する要素にあふれている。しかも、火力をうまく維持するには、知恵と知識を総動員しなければならない。
オンかオフか。スイッチひとつですべてが動く社会に慣らされているぼくたちにとっては、自然の炎を操るという作業は、人間本来の姿を思い出させてくれるものだ。
調理をし、暖をとり、濡れたからだと衣服を乾かし、会話を弾ませ活力を呼び起こす。それらがぜんぶできるのは、焚き火をおいてほかにない。
そして、より身近に炎を感じるために、あえて地面の高さで焚き火をやろうではないか。
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